68年前の今日、一瞬にして壊滅した街・・・一瞬にして消えた日々の生活・・・8月6日は広島の、9日は長崎の原爆忌念日。松剣の母は爆心地から1.5kmで被爆し、相方のお母さんは原爆投下後の入市被爆で、共に原爆手帳を持っている。余談だが、相方と知り合って間もない頃、母親同士が小学校から高校を卒業するまで同じ学校に通っていた同級生だと知り驚いた。
お互いの母親は2才になる前だったので、その悲惨さは記憶に無いと言うが、松剣は祖父が存命だった頃、一度だけあの日の朝の惨状を聞いた事がある。
一方、相方のお祖父さんは南方戦線で戦死し、お祖母さんから繰り返しあの日の惨状と戦中戦後の筆舌に尽くし難い大変な苦労を聞かされて育った。
何気ない毎日の暮らしは、そんな多いなる犠牲の上に成り立っている。戦争で犠牲になった何百万人の命と暮らし・・・もしも今戦時中なら、まりももあんずも軍に強制供出させられ悲惨な目に合うのだ。がんの治療どころではあるまい。
平和って、当たり前になり過ぎていつもは感じないけれど、こんな平凡な毎日がとても有難い。平和で無ければこんな優雅に遊んでなんて居られない。UFOキャッチャーでGETしたマスコット。あんずのお気に入り。
洗濯用のカゴを倒して『ハウス!』と言うと、嬉しげに入ってくつろぐまりも。この中でそのまま眠っちゃう事も・・・変じゃろ!
デジカメを構えると・・・紐、みーっけ!紐が大好きなあんず。ムムムッ!これでどうじゃ!
ゆったりと時間が流れる・・・ちょっと一休み。
こんな幸せ、ありがとう。これからも平和でありますように・・・
今は平和じゃない世界の人にも、一刻も早く平和が訪れますように・・・
全世界の命が輝く世の中になりますように・・・
2 件のコメント:
とても暑い日だったそうですね。
私の両親は、佐賀県人で、
長崎に原爆が落ちた日、
佐賀県西部の住人だった父は、
「山の向こうにすごい光を見た」と言います。
その隣町に住んでいた母は、
「ひどいやけどをした人たちが、汽車で続々と逃げてきた」と。
ほんの68年前のこと。
食べて、ぐっすり眠れる幸せを、
病気のワンコに教えられたりして、
忘れちゃいけないですね。
そうです。とても暑い日だったらしいです。
空襲警報が解除され、居間で朝食を取っていた時
閃光と爆風が母の一家を襲ったそうです。
父の一家は長崎に居ましたが、佐世保の軍需工場
近くに居た為、難を逃れたらしいです。
高齢化で戦争の悲惨さ、愚かさを伝える人が
どんどん居なくなる中、我々の世代が
伝えていかなくてはいけませんね。
コメントを投稿