2018年7月15日日曜日

また故郷が٠٠٠

7月6日。雨は朝から降っていた。豪雨も予想されていて昼にはJRの運休が決まり、JR組は昼食を急いで済ませ慌てて帰宅した。






自動車通勤と松剣の様に徒歩や自転車で通勤している者は会社に残り仕事を片付けていると15:00過ぎに、直ぐに帰宅するように、これは業務命令だと上司から言われ、びしょびしょになりながら帰宅した。






夜の8時過ぎ、名古屋で暮らす友人からLINEに写真が送られてきた。故郷に残る弟から送られてきたと言うその写真は、松剣の記憶の片隅にある風景だった。











マジか?!ウソじゃろ?ニュースの映像は続々と故郷の被害を伝える。二十歳まで過ごした町。一人暮らしを始めたのもこの写真から歩いて5分程の場所だった。





実家に帰っていた相方からショックなLINEが入ったのは夜の10時を回った頃だった。以前住んでいたアパートのすぐ横の山が崩れて一人生き埋めになっていると言う。






当時住んでいたアパートはもう随分前に取り壊されたが、その跡地に向いても土砂が流込んでいる。嘘じゃろ٠٠٠結局この方は犠牲者となってしまった。





ジュニアとぺー君、そしてまりもとあんず。みんなで暮らした思い出の地。あのまま住んでいたら犠牲者になっていたかも知れない。






陽当たりは悪かったが地域の方も良い人ばかりで、安く売ってくれるのならこの土地を買っても良いねと相方と話した事もあった。本当に信じられないよ٠٠٠






その夜、鳴り響くエリアメールの不気味な音で何度も起こされる。避難勧告も出ていたが、結局避難する事は無く朝を迎えた。






故郷に住む別の友人からも続々と写真が送られて来る。この友人は夜避難し昼過ぎに帰宅したらこんなになっていた、と。










友人の弟からまた信じられない写真が届く。













学生時代、松剣が新聞配達をしていた団地だ。ここに川なんか無いよ?何じゃこれは!その後も組合の仲間達から悲惨な写真が届く。










































県内を東西に貫く超主要な国道だ。流通はどうなるんだろう٠٠٠






















隣接する市も大変な事に。高速道路は早々に封鎖されているのに国道がこんなんじゃどうしようもないじゃん٠٠٠刻一刻と明らかになる被害に息を飲む。







そんな中、いつも剣道でお世話になっているM先生のお宅が被災されと言う情報が入った。14日に別の道場の父兄会の有志が集まってご自宅の片付けを手伝うのだと言う。







そりゃ行かねば!先生のお宅から1.2キロの小学校が避難所になっていて駐車可能と言う情報をゲット。早速準備を整え現場へと向かう。





すぐそばでは行方不明者の捜索が続けられている地域だ。そこで目にした光景は想像を絶する物だった。
























道がえぐれて川の様になっている。この道しか無いのでこの上の住宅の方は全く被害がないのに車では一切出られないそうだ。






M先生にはご兄弟で剣道の稽古を付けて頂いていて、被災されたのはお兄さんのお宅。6日の夜、避難して10分後に土砂が流込んだらしい。










庭に流れ込んだ土砂は下に行くほど水気を含んでいて一番下はヘドロ状。匂いもどぶ臭い様な汲み取りの様な匂いで臭いのなんの٠٠٠しかし家がしっかり残っているのはまだましな方。





表の峠道に出てみる。この町を貫く幹線道路で交通量も多く朝晩の渋滞は有名だ。そんな場所で信号待ちをしていた車に鉄砲水が襲い掛かったらしい。












この辺りではまだ4人の行方がわかっていない。何とか早く見つかります様に。そして何とか早く被災地が復興しますように。





犠牲者の皆様のご冥福をお祈りするばかりだ。
                                                 

ジュニアの武勇伝

7月14日はジュニアとお別れして13年。まりもと出逢えたのもジュニアのお陰だ。















こうして見るとあまり似てはいないのだが、初めてまりもと出逢った時、松剣も相方もジュニアの面影とダブったから。
















勿論ジュニアは雑種。デカいけど一応血統書付きのチワワだったまりもの3倍近くの大きさだった。













短足のまりもに比べ足が長くて走るのもとっても早かったよね。










この角度から見るとちょっと似ていると思うんだよね。






松剣と相方がまりもと出逢ったのはジュニアとお別れして丁度半年だったから、思い出の中でごっちゃになり、それがまりもとの事だったかジュニアとの事だったか分からなくなる時がある。














ジュニアは我が家の一番上のお姉ちゃん、と言った存在で、まりもともあんずとも勿論逢った事はないけれど、何となくお互いに知っているんじゃないかな、と思う。

























警戒心が強くとっても賢い子だったけど、とても怖がりさんで番犬にはならないね、といつも相方と笑い合っていた。





そんなジュニアが一度だけ、本当にありったけの勇気を振り絞ったんだと感心する出来事があった。





まだぺー君が元気で勇敢な若武者だったある雨の日の朝、いつものようにぺー君はリードに繋ぎ、ジュニアはリードなしで傘を差して散歩に出掛けた。





散歩コースは自宅から300メートルほどの公園なのだが、家を出て半分くらい行った空き地の角で、何と大きなシベリアンハスキーがひとりで散歩しているではないか!






首輪には途中でちぎれたリードがぶら下がっている!うわっヤバイ❗喧嘩っ早いぺー君、こんな大きいのと喧嘩したら絶対負けて大怪我だ。何とかしないと!






松剣パニック状態。闘牛士のように差していた傘でぺー君をハスキーから隠すように頑張っていると、滅多に怒らないジュニアがハスキーを相手にワンワンとそれはそれはけたたましく吠えたのだ。





相方はその声を聞き、あの鳴き声はジュニア!何かあったに違いない❗そう確信して家から飛んで来てくれた。





孤軍奮闘中の松剣、何とかハスキーの首輪にぶら下がっていたちぎれたリードを引っ張り、側に駐車してあった誰のかわからない軽トラックの荷台にくくりつけようとしているところだった。





相方もびっくり!すぐにぺー君のリードを引っ張り連れて帰ってくれた。






それから程なく知らないおじさんがハァハァ言いながら坂道を登って来た。手にはちぎれたリードの片割れが٠٠٠




散歩の途中でハスキーの力が強過ぎてちぎれたらしいのだ。





いやぁ~それにしてもビビったわ。でもジュニアのお陰で助かったよー。何度もほめてやりました。






あんな勇敢なジュニアは初めて見たね。相方といまだに話題になるほど。ジュニアのたったひとつの武勇伝。













ぺー君と松剣の事を力一杯守ってくれたんだね。忘れないよ、ジュニアの勇気。これからも見守っていてね。





2018年7月6日金曜日

我が家のへなちょこ長男

7月5日はぺー君とお別れして16年。ジュニアと暮らした年月と同じ時間が経過した事になる。











もう随分昔の様な気もするし、ついこの前の様な気もするが、やっぱりそれなりの時間が過ぎたんだなと思う。













しかしこうして昔の写真を見てみるとなかなかのハンサムボーイだと思うのは松剣と相方だけ?











時々おっさんみたいな時もあって、それはそれで可愛かったんだよね。














食いしん坊だったのに、ジュニアが自分の食べているおやつを欲しがって奪い去ったとしても喧嘩になる事は一切なく、黙って譲っていたのには、いつも本当に感心したものだ。





ワン子界の序列を忠実に守る、まさしく日本男児だった。






























ジュニアに見つからないようにこっそりおやつをやることもよくあったよね。






ぺー君は我が家の長男と言う位置付けなんだけど、ジュニアというお姉ちゃんに一生頭が上がらない弟と言う感じだった。














一緒に暮らし始めた頃は寒かろうと思って布団を掛けてやろうとしても、ちょっと布団が身体に当たっただけでも飛んで逃げる程だった。






それが年々平気になり、何年かすると自分から布団に入れてと言って来るまでになったのだからそりゃ可愛かった。





時々内股で、相方にオカマちゃんみたいって言われていたっけ。日本男児のオカマちゃん?















若い頃は精悍で大胆に脱走して手を焼いた事も度々だったけど、実はびびりで神経質な所もあったぺー君。





へなちょこだったけど、いつまで経っても永遠に可愛い我が家の長男だね!