2014年12月24日水曜日

永遠の親友、その1

少しはにかんだ様ないつもの笑顔で遊び人Yは遺影の中に居た。一張羅を着た20代前半の、Yが一番輝いていた頃の若い笑顔だった。

12月20日 。松剣の大切な親友Yが逝った。1年間の闘病の末、太く短く自由奔放な生涯を閉じた。組織や規律に従う事を嫌ったYはお父さんが経営する会社には目もくれず、高校卒業後は夜の世界へ飛び込み家業は弟が継いだ。

Yは頑張り20代前半には既に店を持つまでになっていて、そんなYをいつも凄いなぁと尊敬し眩しく思っていた。バブル景気で店はとても繁盛していて、飲めない松剣もボトルをキープし月に1〜2回店を訪れ、水のように薄〜い水割りを作ってもらい人のカラオケを聞きながらカウンターでうとうとするのが楽しみだった。Yと話しているととても楽しかったし松さん、松さんと、Yも喜んでくれた。

しかしバブルが終わりみんなそれなりの年齢にもなり、店の経営は難しくなった。その後は長距離トラックに乗ったり家業を手伝うなど職を転々とし、生活は楽では無かった。

Yに食道がんが見つかったのは昨年11月の初めだった。既にステージⅣでリンパ節への転移もあり、久々に会ったYは枯れ木のように痩せていた。どうしてこんなになるまで医者へ行かなかったのかと問うと、もう何か月も前からのどに違和感があったので耳鼻科へ行き、そこで異常なしと言われたので暫く様子を見ていたのだと答えた。

しかしどうもこの違和感はただ事ではないと思い内科を受診して発覚したのだと言う。水を飲むと鼻から出てしまう程通りが悪かったのだが、放射線と抗がん剤による治療で少しずつがんは小さくなり、ゆっくりではあるが口から食べれらるようになった。住んでいたアパートを引き払い、実家での療養生活と抗がん剤治療の時だけ入院する生活が始まった。

Yのお母さんはとても美人で料理の腕はプロ級。小料理屋を営んでいた。松剣はじめ、このブログに登場する仲間たちは親しみを込めYのお母さんの事を『ママ』と呼び、お店に寄っては手料理に舌鼓を打ったものだ。そんなママの美味しい手料理のお陰で少しずつ体重も増えたが、がんは憎たらしく肺へ転移しやがった。Yのお父さんは国立病院への転院を勧めたが、義理堅いYは先生や看護師さんにはお世話になっているからと、頑なに拒んだのだ。

それでもYは細々と5年位はのらりくらりと生きるとみんな思っていた。Y自身もそう思っていた。しかし、憎いがんは容赦無くYを苦しめた。肺だけで無く肝臓と骨にまで転移し、先月余命1年と診断されたのだが、その割にはとても辛そうでとても1年も持ちこたえそうも無く、余程しんどかったのだろう、今月8日に自分から入院したのだった。

2 件のコメント:

食いしん坊 さんのコメント...

今日も会社の帰りに病院の前を通る時にまだ入院しているような気がして、寄ってみたくなったよ・・・11月10日の松剣のブログに登場したのを読み返しては、まだ受け入れる事ができない…何でこんなに近くにいて気が付いてやれなかった…いろんな不運が重なって最悪の結果になってしまったね…悔やんでも悔やみきれないけど、これからは、Yに教えられたことを胸に刻みお互いに今を大事に生きていけるよう健康第一で頑張ろうや‼︎
松剣これからもよろしくね‼︎

松剣 さんのコメント...

食いしん坊さん

まだ何処かに居る気がするね・・・
元々食が細かったから食べる量が減っている事もそれほど
気にはならなかったしね。
ほんと、悔やんでも仕方がないけれどやっぱり悔しい。
もっと一緒に居たかったね。人が亡くなってこんなに泣いたのは
初めてだったよ。もうこんな思いはしたくないしさせたくもない。
お互い長生きしよう。Yの分まで。こちらこそ今後もずっとずっと
親友でいて下さい。約束だぜ!