2014年12月26日金曜日

永遠の親友、その2

一時期は『ラッタッタ』に乗ってパチンコに行けるほど元気になっていた。お父さんとママと三人で買い物にもよく出掛け、夜は野球や相撲を見ながら三人で晩酌も楽しんだ。あまり沢山は食べられないけど三食ちゃんと作って出してくれるオカンに悪いからと、ママの手料理を頑張って食べた。

自由気ままで学生時代は家出を繰り返し、滅多に実家には顔を出さなかったYはそれまでの親子の時間を取り戻そうとしているかの様で、今が一番幸せかもしれないと思った。

しかし穏やかな時間は長くは続かなかった。我が家で獅子鍋パーティーをした頃から外出が困難になり、大好きな酒も飲めなくなっていった。外出できないYが退屈そうだからみんなで家に遊びに来てやってとママから言われ、大勢で押し掛け牡蠣鍋パーティーをしたのは入院する前日、12月7日の事だった。

随分息が苦しそうで鍋に手を付ける事は無かった。こたつの座椅子にもたれ、みんなの会話を聞いているだけだったが、それだけでも楽しいのだ、みんなとオカンが楽しそうにしているのを見ているだけで嬉しいのだとYは言った。

この時Yはワン子と暮らしたいと言った。みんなはそんな身体じゃ無理だ、面倒なんて見られる訳ないじゃんと笑い、ママもこれ以上世話が焼ける生き物は勘弁してよと言い、みんなで笑った。Yも笑ったが、ポツリとこう言った。誰かの役に立っていると言う実感が欲しいと。

ここ数年、仕事が上手くいっていなかったY。夢や目標も無く誰かの為に生きている訳でも無かった。そんな時に発覚した病のせいで生きる希望さえ見つけられなかったのかもしれない。

翌日入院した時は身体の酸素濃度が異常に低くなっていたらしく、鼻からの酸素吸入で少し楽になったと聞いた。しかし酸素ボンベを引いて歩く別の入院患者を見て、あんなにスタスタ歩ける様にはなりそうも無い、もうダメな気がするとFに言ったらしい。Fには返す言葉も見つからなかった。

その週末相方と見舞った時は、牡蠣鍋をした日より元気そうに見えた。オカンが冬瓜を炊いて持って来てくれたけど半分しか食べられなかったから松さん食べてよ、いい出汁が出ていて美味しいからと言うので、相方と残りを全部食べた。相変わらず旨い!ママの手料理は何を食べても美味しいねと言うと、少し誇らしげに笑った。

翌日Yから新人看護師によるイベントがあるから来ないかと連絡があった。なんでも昨年見た時えらく感動したらしいのだ。今日は剣道の稽古があるから行けないと断わるとイベントの様子を、昨年ほど感動しなかったというコメント付きでLINEにUPして来た。随分元気そうになったねと相方と喜んでいたのだが・・・

その2日後の大雪が降り積もった17日の夕方ママからM美に連絡が入った。あまりの痛さにYがもう楽になりたいというので、痛み止めの量を増やす事に決めたというのだ。この点滴を入れると昏睡状態になるので今のうちに会ってやって欲しいと。

えっ?!どう言う事?随分元気そうになってたじゃん・・・なんで?痛み止めも効かなくなったと言う事?職場に掛かって来た相方からの電話を理解する事は出来なかった。

そんなに痛かったんだ・・・気付いてやれなくてごめん。何とか意識があるうちに会いたい。雪が残っている中、車を飛ばした。

相方と病院に駆け付けると友人みんな来ていた。松剣の知らない顔も沢山あった。松さん来てくれたよ、わかる?ママの問い掛けに薄っすらと目を開け力無く頷いた。

痛い、痛いと顔をしかめるYの背中をママとM子ちゃんと松剣が交代でさすった。骨と皮だけになった背中をさするママの手を見ると涙が溢れた。ママの気持ちを思うと切なくて苦しくてやり切れなかった。

翌日は仕事が手につかなかった。何とかもう一度生きているYに会いたい。まだ迎えに来ちゃダメだからね!何度も心の中でまりもにお願いしながら仕事を片付け相方と病院へ急いだ。

前日より痛みは和らいだ様子だった。松剣来たよ、わかる?昨日よりしっかり頷いた。足裏のマッサージをしながら、どんな?気持ちいい?と聞くとウン、ウンと2回頷いた。今日はお茶もよく飲んだとM子ちゃんが嬉しそうに言った。

翌日も相方と病院に寄った。前日より調子が良くアイスクリームを座って食べたと聞き、少し嫌な予感がした。後からやって来たFの事もしっかりわかっていて、時折会話に加わり何度も笑った。少し強めにYの足の裏を揉んでいると相方が、そんなに強く揉んだら痛いよと言ったが、気持ちいいと、ハッキリした口調で言ってくれた。

Fがまた明日来るからとYに声を掛け帰ろうとした時、Fの背中に向けて握手をしようと右手を伸ばした。松剣だけじゃなく病室に居合わせた全員、嫌な予感だと思った。
松剣には、松さん上着忘れんさんなと2回も言った。お見舞いに行って上着を脱いでそのまま忘れて帰ってしまい、相方に叱られた事を心配してくれたのだ。

みんな帰った後、面会時間はとっくに過ぎていたけれどママからYの幼い頃の話を聞いた。甘えたい時期に弟が生まれ手をかけてやれなかった事をママはとても悔やんでいた。でも病気がわかって実家でママの手料理を食べながら療養出来た時間はYにとって、とても幸せな時間だったに違いないと伝えた。

じゃあまた、明日来るから。ちゃんと上着持ったよと言うと、Yは笑いながら頷き手を振った。病室を出る時ママが廊下まで送ってくれ、看護師さんからYを連れて帰る準備をしてくれと言われたので、お気に入りの服を取りに帰ったのだと打ち明けてくれた。覚悟はしていたけどね・・・そう言って涙ぐむママの背中をさすってあげる事しか出来なかった。

次の日も相方と病院へ行くと昨日の調子の良さは全く無く、痛そうに眉間にしわを寄せ苦しそうに何度も身をよじっていた。熱も39度あり頭も痛がったが名前を呼ぶと薄っすら目を開けた。

ほんの少し前、とても痛がって大変だったとM子ちゃんが言った。交代でママが食事に行っていたらしく、身内の方が居てくれないと困ると叱られたのだと聞き、いよいよかもしれないと思った。

点滴を交換に来た看護師さんがママを廊下に出るよう促した。少し経って病室に戻って来たママは今日は帰らない事にしたから送ってくれなくても良くなったとS美ちゃんに言った。Yのお父さんと交代で一休みするのは止めたからと。更に看護師さんがYに質問形式で話す事を禁じた。

相方が病室に来ていた全員を廊下に呼び出し、今日はもう帰ろう、そろそろ家族だけの時間にしてあげた方が良いと思うと言った。M子ちゃんは泣いたがYのお父さんも来たので納得してくれた。

本当はずっとYの背中をさすっていたかった。足の裏も揉んでいたかった。後ろ髪を引かれる思いで明日又来るからとYに声を掛け、M子ちゃんとS美ちゃんと一緒に病室を後にした。

エレベーターの中でM子ちゃんとS美ちゃんは肩を抱き合うように泣いていた。松剣も相方も泣いた。1階の待合室を通り抜ける間も、駐車場に着いてからもずっと泣いた。あぁ、これがきっと最期なんだと思うと、まりもとのお別れが近づいた時の様に苦しくなった。

車に乗って涙を拭き、スーパーに立ち寄った後帰宅した。剣道の忘年会だったがとても行く気になれず、何となく家で過ごしていた。Yにはもう一度生きて会いたいと思ったが、苦しい時間が長引くだけならもう頑張れとは思えなかった。

20時39分。それまで痛い、痛いと言っていたYが反応しなくなり、呼び掛けにも応えなくなり、静かに息を引き取ったと言う。苦しそうだった表情はすっと和らいだのだそうだ。
21時過ぎにM美から連絡があったが実感が湧かなかった。

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