2014年12月29日月曜日

永遠の親友、また逢う日まで

何処かに引っ掛けたわけでも力を加えたわけでもないのに、こんなに悪い事が続いた年の瀬に数珠が切れるなんて不吉だな・・・

火葬場へ行くマイクロバスの中で相方が、数珠が切れた事に何か意味があるのか検索してくれたのによると、全く不吉な事ではなくむしろ悪運や悪縁を断ち切る良い意味があるとされている事がわかった。悪い事がこれ以上続かぬようYが全てを断ち切ってくれたんだと感じた。

ご葬儀の後Yのお父さんに、時間が許すなら火葬場へも一緒に行ってお骨も拾ってやってと言われたので、いつもの仲間達と合わせ20名が同行した。

3年前に新設された市営の火葬場は、葬儀場から自動車専用道路を使えば30分ほどの距離。チラチラと舞っているだけだった雪は火葬場に近づくにつれポッポと激しくなった。
ママから連絡があり病院に駆けつけた日も大雪が降った日だったよね・・・真夏に生まれたのに余程雪が好きだったらしいとみんなで笑った。

みんなも初めて来たという新しい火葬場は、まるで現代美術館の様だった。中庭に降り積もった雪がとても綺麗で幻想的でこれから先の人生で雪を見る度にYの事を、そして今日の事を思い出すのだろうと思った。・・・そうか、それが狙いだったんだな、Y。でもそんな小細工なんてしなくても忘れるわけないだろ!


一旦控え室に荷物を置き、お別れ室へとみんなで移動した。Yの柩も既に運ばれていた。ご焼香を済ませるとこれでお顔を見られるのは最期ですと係りの方に言われた。柩の中のYの頭をさすりながら何度も何度も名前を呼び、有難う有難うとみんな口々に叫んだ。

本当にこれがYの姿を見る最後になるのだ。この瞼に、この脳裏にしっかりと焼き付けようとするが溢れ出る涙と自分の嗚咽が邪魔をする。もう何も考える事は出来なかった。ただひたすらに悲しくて寂しくて泣くだけだった。

そしてついにYの柩は轟々と鳴る無機質な空洞へと吸い込まれて行った。何度も何度もYの名前を叫んだけれど、重厚な鉄の扉は無情にも機械的に閉められ、カチャという音と共に抜き取られた鍵はお父さんの手に渡されたのだった。

控え室へと戻る間も涙は溢れ続けた。泣きながらFに絶対に死なないでくれ、親友が居なくなるからと言うと、自分だって同じだ、お互いに長生きしようと約束してくれた。

荷物を置いた控え室からは別の庭が見えた。遣り水は三途の川を模しているのだろうか。降り積もった雪と竹とのコントラストは、悲しみで掻き乱された心を少し和ませてくれた。

収骨までの時間はお弁当や食後のコーヒーを頂きながらYの思い出を語り合った。Yに最期に着せていたお気に入りの服、どうやってわかったのとママに聞くと、遺影の写真を探していてきっとコレだと確信したのだと言った。仲の良い友達の結婚式で必ず着て写っていたからと。
遺影の中で笑うYが着ている紫のスーツだった。

1時間半程経過した頃、火葬場の方が現れこれからの段取りを説明し始めた。まるで家政婦のミタの様に機械的に淡々と話す口調がやけに印象的だった。Yが居たらきっとすぐに真似をしてみんなを笑わせたろうと思った。

みんなでお別れ室へ行った。骨壷は見慣れた白い物では無く、まるでYを象徴するかの様な紫の鳳凰をあしらったカッコ良い骨壷だった。

重厚な鉄の扉が開かれ独特な口調で収骨の説明がされる。これまでの経験では火葬場の方がお骨全体を見て、長く患われていたのですねとか、しっかりした体格の持ち主だったのですねなどと言いながら、これはどこの骨だと説明してくれるのが常だったが、あくまでミタは機械的だった。

放射線治療のせいなのか、喉仏のお骨は見当たらなかった。必死に探したが見つからなかったので、そのすぐ上の袈裟仏と言われるお骨を壺の真ん中に納め最後に頭蓋骨を乗せた。
まさかこの子のお骨を拾う事になるなんてね・・・ママが言った。松剣も相方も同じ事を思った。

連絡を受け病院に駆けつけた日から5日。長い5日間だった。終わったんだ・・・もうYの姿は写真と記憶の中でしか見る事が出来ないんだ・・・

ママがお骨を抱き、お父さんは荷物を持っていたので松剣が遺影を抱きしめ帰りのバスに乗り込んだ。最期の最期までちゃんとお見送りが出来て良かったな。お父さんとママの配慮が嬉しかった。

葬儀場に戻るとYのお父さんがお骨まで拾ってくれて有難う、仲良くしてくれて本当に有難うと何度もお礼を言われた。そしてママは、あの子の分まで元気に楽しく生きてねと・・・

仲間のみんなが歳を取りそれ相応になってゆく中で、Yはいつも寂しそうにしていた。みんな変わってしまったと嘆く、大人になり切れないピーターパンの様なヤツだった。

Yは生前こう漏らしていた。やっぱり最期はオトンとオカンに看取ってもらいたいのだと。
そんなYが今際の際に見たのは、大好きなオトンと自慢のオカンの顔だっただろうか・・・
最期に聴いたのはYの名を呼ぶ大好きな二人の声だったのだろうか・・・

そしてその胸に去来したのは、Yが一番輝いていた頃の事なのか、それとも大好きなオトンとオカンとの最後の一年間の生活だったのだろうか・・・

来世も大好きなオトンとオカンの子として、今度は順番通り二人のお骨を拾える健康な身体で生まれ変われますように・・・どうしてこんな辛い目に遭わなきゃいけないのかと背中をさするママの事が忘れられないから・・・どうか絶対に長生き出来る元気な身体で。

親友でいてくれて本当に幸せだった。これからもずっとずっと永遠に親友だから!そして来世も親友として出会えますように。

また逢う日まで、さようなら。安らかに・・・最後にもう一度ありがとう、Y。

2 件のコメント:

◯美 さんのコメント...

Yが逝ってしまって何日経ったかなぁ…なんだかすごく前に思えたり昨日のように思えたり…
車で走っているとふとYのところに行ってみようかな、行ったら会えるんじゃないかなって思ったり…
まだどうにも整理がつかないね…
松剣のブログを何度も何度も読み返し、涙が込み上げてきてもまた朝になるとイマイチピンとこない…
あまりにも早過ぎたんだよね、あまりにも。
逢いに来てやってとママからの電話をもらって、わかったよ、ママって一生懸命落ち着いて返事しなきゃって思いながらも心が音を立てて崩れていってた…どうしよう、なんでよ、YからのLINEはそういう意味だったのかって色々頭を駆け巡った

本当に今年は沢山泣いたよ…

来年も、やんちゃくれで繊細なYが大好きな親しい仲でちょいと集まってワイワイやれるように
そんな平凡な毎日が何よりも大切なんだとYが教えてくれたから
1日1日を大事に過ごせる2015年にしよう

松剣、相方さん、あんず、
これからもずっと末永くよろしくです。

松剣 さんのコメント...

○美さん

今年は本当に色々あったね・・・
辛い事も沢山。
でもその中で良かった事もあったはず。
あんずだって元気で居てくれた。
仕事もそれなりに上手くいった。
Yが教えてくれた事もいっぱいあったよね。日々を大切に生きる事、誰かの役に立てる事の幸せ・・・来年は毎日『良かった探し』
をしながら過ごそうよ。
Yの姿は見えないけれど、みんなの心の中にずっと生き続ける。悔しいけど若いままでね。
これからもずっとずっとず〜〜っと親友でおってな!