年々スピードが増す365日の経過速度。子供の頃の何倍もの感覚だ。これにはちゃんとからくりがあるらしいと、いつだったか相方が教えてくれた。
子供の頃、例えば10歳の子の1年は自分の生きて来た年数の10分の1。20歳の人の1年は自分の生きて来た年数の20分の1。40歳なら・・・つまり、そう言う事なのだそう。じゃ100歳まで生きたらどうなんだろうね?物凄いスピードに違いないよ、きっと。
今年もあっという間にまりもの居ない大晦日。去年の今頃は既に再々燃していたのだろうが、気付かず楽しく年越しをしたんだ。まりもさん、相方特製の『紅茶豚』に釘付けだったよね。
そして親友Y。1年前には考えもしなかった。まさか1年後にはこの世に居ないなんて・・・去年は正月も抗がん剤治療が続いていて退院出来なかったんだっけ・・・
今年3月友人F宅で。今頃ふたりは空の上でこんな感じでいるのかな。
寂しがってばかりじゃふたりが心配するので頑張らないとね。
そこで!
松剣一家、来年の目標をこのブログで宣言しちゃいましょうというこの企画、先ずは松剣。
目標:『健康第一で剣道の修行に励む』
達成基準:『年間稽古日数150日以上』
週3回以上稽古をしないと達成不可能。怪我をしても体調を壊してもダメ。とにかく健康が一番。更に残業や休日出勤ありきでダラダラ仕事をしていても難しくなる。時間を大切に。
続いて相方さん、どうぞ!
目標:『痩せる』
達成基準:『2014年12月31日現在より5kg減』
その為に何をするのかはまだ決めていないと言う。あ〜きっとこの人、来年も無理だわ。
最後にあんずさん、どうぞ!
目標:『にゃ〜』
達成基準:『1日5回以上甘えるにゃ』
あんずの甘えん坊のおかげでどれだけ松剣と相方が癒された事か。来年もうんと甘えてね!
そう言えばあんずさん、大晦日の本日、凄い目標を達成したんだった!どや!ここまで上がれたにゃ!
そして何と、こんな上まで!この直後、天袋にも入ったのだ!
購入から2ヶ月、やっと遊んでくれたね。嬉しいな!毎日使ってね〜。
色々あったけど、ちょっぴりご馳走で何とか年越し。まりもも一緒に!
喪に服すと言うわけではないけれど新年おめでとう!と言う気にもあまりなれないので、しめ縄も鏡餅も飾らない事にした。初詣もう〜ん、どうしよう・・・と思ったけど、あんずには元気でいてもらわないと困るし、勿論相方も自分自身も元気でなければいけない。火事や盗っ人によって、なけなしの財産が奪われてもいけないのでお参りにだけは行く事にした。
そして今年も前半、まりもには沢山の応援や励ましを、又お別れに際しては沢山のお悔やみを頂きありがとうございました。その後も松剣と相方、あんずが元気を取り戻せるよう温かいお心遣いを頂きました事、感謝致します。
最後になりましたが、皆様良いお年をお迎え下さい。来年も松剣一家の様子をこのブログでお伝えしようと思いますのでよろしくお願いします。
2014年12月31日水曜日
忘年会 →望年会
とにかく色々あった一年間だった。
年明け早々にまりものリンパ腫再々燃が発覚。必死に治療に励んだ5ヶ月間。そして6月の悲しいお別れ。母との関係も悪化し解決を見ないまま。そしてとどめはYとのお別れ・・・
せめて今夜は悪い事は忘れて来年に希望を託してパーッとやりましょうと言う事で、夏の松剣とYの誕生日をセッティングしてくれたTちゃんが再び登場!
先ずは乾杯!FとMちゃん、そしてTちゃんの中学3年の娘さんと小学生の息子さん。勿論烏龍茶ですよ!
今年も一年間お疲れ様でした!
Tちゃん行きつけのこのお店、個人経営で地元密着型の家庭的な居酒屋さん。大繁盛で今日は満席大忙しの品切れ続出。料理を注文してから出て来るまでの時間も長い。しかし話し上手なTちゃんのおかげで退屈なんて思わなかった。お腹も空いているはずなのに不思議だな。
Tちゃんは一度会うと忘れられない濃いキャラ。しかも、もう一度会いたいな、もっと色々話してみたいなと思わせる様な何かがある、ちょっと不思議な人。
そんなTちゃんが相方とオマケの松剣にと作ってくれたパワーストーンの腕輪。通常は左手にはめて、ちょっと最近いい事がないなとか、疲れているなと思ったら右手にはめるといいんだそうな。ありがとう、とても気に入ったよ!松剣のは水晶、オニキス、何とかアイ。相方のは・・・何だっけかな?
相方はどんな力がこの石達にあるのかとても気になったらしく、帰ってからも色々と調べて教えてくれた。松剣のはスポーツ選手が厳しい練習にも耐えられる様な強い意思を継続出来るパワーをもらえるんだそうだ。
Yの事や松剣の母親との話などあれこれ語る内に一品、また一品と料理が運ばれて来た。白肉の天ぷら。誰だ?このピースは!相方の手っぽい?
続いてガリの天ぷら。焼肉ではよく食べるガリ。天ぷらで食べるのは初めて。
おそらく白肉もガリもこの地方独特の呼名かもしれない。通常白肉は上ミノと記載されている。ガリは、以前東京の焼肉屋へ行った際、ガリと言っても通じなかったし別の呼名も無かったので、関東辺りでは食べないのかな?初めて食べた天ぷら、メッチャうま!
続いて鳥のセセリ塩焼き。
みんなで食べるのであっという間に無くなる。
セセリってどこの部位だ?よくわからないけど焼き鳥屋では定番。レモンであっさり頂く。酒にもご飯のおかずにもピッタリな一品。しかし残念な事に白飯は売り切れ。残念!
もう一品あっさり系。鳥皮ポン酢。これは白飯のおかずにはちょいと不向きだな。でも旨い!
こちらは馬刺し。Tちゃんが大将にお願いして2皿取置きしてくれていた!
松剣の大好物!
いつもは甘露醤油におろし生姜で頂くが、ここではごま油と塩で。この食べ方も初めて。今は食べられない幻のレバ刺しの食べ方だね。この食べ方も美味しいぞ!まりもも馬刺し、大好きだったな。
今度はフライドポテト明太チーズ。たまには人物撮ってよと言う美人な?お姉様二人。
相方とTちゃんをメインで撮影したつもりだが・・・アホなFも写っとるやないけ!
こちらはお店のママさんから。手作り餃子?と思いきや、頂き物だそうな。
おっ!ちょっと久々の餃子。ジューシーで旨い!
小出しだったけど、随分お腹も落ち着いて来た。しかしやっぱり炭水化物、欲しいよね。
と言う事で、ご飯の代わりに名物ホルモンうどん。ここのお店のイチオシ!多分お酒の〆にも良さそう。
うどんを食べ終わった後、美味しい汁だけが結構沢山残っていた。ここにご飯を入れて玉子でとじたら美味しいんじゃないかと思った。今度来た時お願いして見よっ。
続いてこちらで最後。って、まだ食べるんかいっ!!みんな大好きお好み焼。1枚は定番のそば肉玉、イカ天入り。もう1枚はそば肉玉、チーズ、もち入り。ラッキーな事にもちは本日つきたて。
本当はみんな鉄板で食べたい人ばかり。猫舌な松剣は皿の方が嬉しい。
昨日パチンコで大儲けしたからと、今日もTちゃんのおごりだった。いつもありがとう。
腕輪も今日のお昼に一生懸命作ってくれたらしい。来年は何だか良い事ありそう!悪縁もYが断ち切ってくれたしね。新年会は是非我が家で!
悪縁・・・そう言えば、Yの病院に駆けつけた日の朝、母から電話があったらしい。松剣既に職場に行った後で相方が対応してくれたのだが・・・
正月に妹一家が帰省するので帰って来ないかと言う誘いだった。どうかわからないので一応伝えてはおくけどしつこく言うと怒るから、と答えたらしい。すると母は、頑固だからね、あの子。でもあの子が何を怒っているのか、何を謝れと言っているのかわからないのよと言ったと言うのだ。
はぁ〜?!なんですかぁ〜?!で、翌日。玄関に冷凍の鰻と一緒にごめんねと言う手紙が入っていた。何が悪いのかわからないけど取りあえず謝っとけ?
松剣さん、以外としつこいのねと思われるかもしれないが・・・やっぱりまりもの事は許せないし、まりもが病気とわかった時も闘病中も、ろくすっぽ話も聞かず孫の事で頭が一杯だった。その事も気に入らなかったのだと話したのだが、あなたの価値観を押し付けないでとまで言ったのだから、そうやすやすと許せるもんじゃないのだ。
しかも電話で相方に、姪っ子の写真を見て元気を出そうとか、会って悲しみを癒そうとか前向きに考えられないのかねぇと嘆いていたと言うから笑止千万!それこそあんたの価値観でしょうが!妹にも姪っ子にも何の罪も無いが、二人にさえ会いたいとは思えないでいる。
この事だけは来年に持ち越しだ。
年明け早々にまりものリンパ腫再々燃が発覚。必死に治療に励んだ5ヶ月間。そして6月の悲しいお別れ。母との関係も悪化し解決を見ないまま。そしてとどめはYとのお別れ・・・
せめて今夜は悪い事は忘れて来年に希望を託してパーッとやりましょうと言う事で、夏の松剣とYの誕生日をセッティングしてくれたTちゃんが再び登場!
先ずは乾杯!FとMちゃん、そしてTちゃんの中学3年の娘さんと小学生の息子さん。勿論烏龍茶ですよ!
今年も一年間お疲れ様でした!
Tちゃん行きつけのこのお店、個人経営で地元密着型の家庭的な居酒屋さん。大繁盛で今日は満席大忙しの品切れ続出。料理を注文してから出て来るまでの時間も長い。しかし話し上手なTちゃんのおかげで退屈なんて思わなかった。お腹も空いているはずなのに不思議だな。
Tちゃんは一度会うと忘れられない濃いキャラ。しかも、もう一度会いたいな、もっと色々話してみたいなと思わせる様な何かがある、ちょっと不思議な人。
そんなTちゃんが相方とオマケの松剣にと作ってくれたパワーストーンの腕輪。通常は左手にはめて、ちょっと最近いい事がないなとか、疲れているなと思ったら右手にはめるといいんだそうな。ありがとう、とても気に入ったよ!松剣のは水晶、オニキス、何とかアイ。相方のは・・・何だっけかな?
相方はどんな力がこの石達にあるのかとても気になったらしく、帰ってからも色々と調べて教えてくれた。松剣のはスポーツ選手が厳しい練習にも耐えられる様な強い意思を継続出来るパワーをもらえるんだそうだ。
Yの事や松剣の母親との話などあれこれ語る内に一品、また一品と料理が運ばれて来た。白肉の天ぷら。誰だ?このピースは!相方の手っぽい?
続いてガリの天ぷら。焼肉ではよく食べるガリ。天ぷらで食べるのは初めて。
おそらく白肉もガリもこの地方独特の呼名かもしれない。通常白肉は上ミノと記載されている。ガリは、以前東京の焼肉屋へ行った際、ガリと言っても通じなかったし別の呼名も無かったので、関東辺りでは食べないのかな?初めて食べた天ぷら、メッチャうま!
続いて鳥のセセリ塩焼き。
みんなで食べるのであっという間に無くなる。
セセリってどこの部位だ?よくわからないけど焼き鳥屋では定番。レモンであっさり頂く。酒にもご飯のおかずにもピッタリな一品。しかし残念な事に白飯は売り切れ。残念!
もう一品あっさり系。鳥皮ポン酢。これは白飯のおかずにはちょいと不向きだな。でも旨い!
こちらは馬刺し。Tちゃんが大将にお願いして2皿取置きしてくれていた!
松剣の大好物!
いつもは甘露醤油におろし生姜で頂くが、ここではごま油と塩で。この食べ方も初めて。今は食べられない幻のレバ刺しの食べ方だね。この食べ方も美味しいぞ!まりもも馬刺し、大好きだったな。
今度はフライドポテト明太チーズ。たまには人物撮ってよと言う美人な?お姉様二人。
相方とTちゃんをメインで撮影したつもりだが・・・アホなFも写っとるやないけ!
こちらはお店のママさんから。手作り餃子?と思いきや、頂き物だそうな。
おっ!ちょっと久々の餃子。ジューシーで旨い!
小出しだったけど、随分お腹も落ち着いて来た。しかしやっぱり炭水化物、欲しいよね。
と言う事で、ご飯の代わりに名物ホルモンうどん。ここのお店のイチオシ!多分お酒の〆にも良さそう。
うどんを食べ終わった後、美味しい汁だけが結構沢山残っていた。ここにご飯を入れて玉子でとじたら美味しいんじゃないかと思った。今度来た時お願いして見よっ。
続いてこちらで最後。って、まだ食べるんかいっ!!みんな大好きお好み焼。1枚は定番のそば肉玉、イカ天入り。もう1枚はそば肉玉、チーズ、もち入り。ラッキーな事にもちは本日つきたて。
本当はみんな鉄板で食べたい人ばかり。猫舌な松剣は皿の方が嬉しい。
昨日パチンコで大儲けしたからと、今日もTちゃんのおごりだった。いつもありがとう。
腕輪も今日のお昼に一生懸命作ってくれたらしい。来年は何だか良い事ありそう!悪縁もYが断ち切ってくれたしね。新年会は是非我が家で!
悪縁・・・そう言えば、Yの病院に駆けつけた日の朝、母から電話があったらしい。松剣既に職場に行った後で相方が対応してくれたのだが・・・
正月に妹一家が帰省するので帰って来ないかと言う誘いだった。どうかわからないので一応伝えてはおくけどしつこく言うと怒るから、と答えたらしい。すると母は、頑固だからね、あの子。でもあの子が何を怒っているのか、何を謝れと言っているのかわからないのよと言ったと言うのだ。
はぁ〜?!なんですかぁ〜?!で、翌日。玄関に冷凍の鰻と一緒にごめんねと言う手紙が入っていた。何が悪いのかわからないけど取りあえず謝っとけ?
松剣さん、以外としつこいのねと思われるかもしれないが・・・やっぱりまりもの事は許せないし、まりもが病気とわかった時も闘病中も、ろくすっぽ話も聞かず孫の事で頭が一杯だった。その事も気に入らなかったのだと話したのだが、あなたの価値観を押し付けないでとまで言ったのだから、そうやすやすと許せるもんじゃないのだ。
しかも電話で相方に、姪っ子の写真を見て元気を出そうとか、会って悲しみを癒そうとか前向きに考えられないのかねぇと嘆いていたと言うから笑止千万!それこそあんたの価値観でしょうが!妹にも姪っ子にも何の罪も無いが、二人にさえ会いたいとは思えないでいる。
この事だけは来年に持ち越しだ。
2014年12月29日月曜日
永遠の親友、また逢う日まで
何処かに引っ掛けたわけでも力を加えたわけでもないのに、こんなに悪い事が続いた年の瀬に数珠が切れるなんて不吉だな・・・
火葬場へ行くマイクロバスの中で相方が、数珠が切れた事に何か意味があるのか検索してくれたのによると、全く不吉な事ではなくむしろ悪運や悪縁を断ち切る良い意味があるとされている事がわかった。悪い事がこれ以上続かぬようYが全てを断ち切ってくれたんだと感じた。
ご葬儀の後Yのお父さんに、時間が許すなら火葬場へも一緒に行ってお骨も拾ってやってと言われたので、いつもの仲間達と合わせ20名が同行した。
3年前に新設された市営の火葬場は、葬儀場から自動車専用道路を使えば30分ほどの距離。チラチラと舞っているだけだった雪は火葬場に近づくにつれポッポと激しくなった。
ママから連絡があり病院に駆けつけた日も大雪が降った日だったよね・・・真夏に生まれたのに余程雪が好きだったらしいとみんなで笑った。
みんなも初めて来たという新しい火葬場は、まるで現代美術館の様だった。中庭に降り積もった雪がとても綺麗で幻想的でこれから先の人生で雪を見る度にYの事を、そして今日の事を思い出すのだろうと思った。・・・そうか、それが狙いだったんだな、Y。でもそんな小細工なんてしなくても忘れるわけないだろ!
一旦控え室に荷物を置き、お別れ室へとみんなで移動した。Yの柩も既に運ばれていた。ご焼香を済ませるとこれでお顔を見られるのは最期ですと係りの方に言われた。柩の中のYの頭をさすりながら何度も何度も名前を呼び、有難う有難うとみんな口々に叫んだ。
本当にこれがYの姿を見る最後になるのだ。この瞼に、この脳裏にしっかりと焼き付けようとするが溢れ出る涙と自分の嗚咽が邪魔をする。もう何も考える事は出来なかった。ただひたすらに悲しくて寂しくて泣くだけだった。
そしてついにYの柩は轟々と鳴る無機質な空洞へと吸い込まれて行った。何度も何度もYの名前を叫んだけれど、重厚な鉄の扉は無情にも機械的に閉められ、カチャという音と共に抜き取られた鍵はお父さんの手に渡されたのだった。
控え室へと戻る間も涙は溢れ続けた。泣きながらFに絶対に死なないでくれ、親友が居なくなるからと言うと、自分だって同じだ、お互いに長生きしようと約束してくれた。
荷物を置いた控え室からは別の庭が見えた。遣り水は三途の川を模しているのだろうか。降り積もった雪と竹とのコントラストは、悲しみで掻き乱された心を少し和ませてくれた。
収骨までの時間はお弁当や食後のコーヒーを頂きながらYの思い出を語り合った。Yに最期に着せていたお気に入りの服、どうやってわかったのとママに聞くと、遺影の写真を探していてきっとコレだと確信したのだと言った。仲の良い友達の結婚式で必ず着て写っていたからと。
遺影の中で笑うYが着ている紫のスーツだった。
1時間半程経過した頃、火葬場の方が現れこれからの段取りを説明し始めた。まるで家政婦のミタの様に機械的に淡々と話す口調がやけに印象的だった。Yが居たらきっとすぐに真似をしてみんなを笑わせたろうと思った。
みんなでお別れ室へ行った。骨壷は見慣れた白い物では無く、まるでYを象徴するかの様な紫の鳳凰をあしらったカッコ良い骨壷だった。
重厚な鉄の扉が開かれ独特な口調で収骨の説明がされる。これまでの経験では火葬場の方がお骨全体を見て、長く患われていたのですねとか、しっかりした体格の持ち主だったのですねなどと言いながら、これはどこの骨だと説明してくれるのが常だったが、あくまでミタは機械的だった。
放射線治療のせいなのか、喉仏のお骨は見当たらなかった。必死に探したが見つからなかったので、そのすぐ上の袈裟仏と言われるお骨を壺の真ん中に納め最後に頭蓋骨を乗せた。
まさかこの子のお骨を拾う事になるなんてね・・・ママが言った。松剣も相方も同じ事を思った。
連絡を受け病院に駆けつけた日から5日。長い5日間だった。終わったんだ・・・もうYの姿は写真と記憶の中でしか見る事が出来ないんだ・・・
ママがお骨を抱き、お父さんは荷物を持っていたので松剣が遺影を抱きしめ帰りのバスに乗り込んだ。最期の最期までちゃんとお見送りが出来て良かったな。お父さんとママの配慮が嬉しかった。
葬儀場に戻るとYのお父さんがお骨まで拾ってくれて有難う、仲良くしてくれて本当に有難うと何度もお礼を言われた。そしてママは、あの子の分まで元気に楽しく生きてねと・・・
仲間のみんなが歳を取りそれ相応になってゆく中で、Yはいつも寂しそうにしていた。みんな変わってしまったと嘆く、大人になり切れないピーターパンの様なヤツだった。
Yは生前こう漏らしていた。やっぱり最期はオトンとオカンに看取ってもらいたいのだと。
そんなYが今際の際に見たのは、大好きなオトンと自慢のオカンの顔だっただろうか・・・
最期に聴いたのはYの名を呼ぶ大好きな二人の声だったのだろうか・・・
そしてその胸に去来したのは、Yが一番輝いていた頃の事なのか、それとも大好きなオトンとオカンとの最後の一年間の生活だったのだろうか・・・
来世も大好きなオトンとオカンの子として、今度は順番通り二人のお骨を拾える健康な身体で生まれ変われますように・・・どうしてこんな辛い目に遭わなきゃいけないのかと背中をさするママの事が忘れられないから・・・どうか絶対に長生き出来る元気な身体で。
親友でいてくれて本当に幸せだった。これからもずっとずっと永遠に親友だから!そして来世も親友として出会えますように。
また逢う日まで、さようなら。安らかに・・・最後にもう一度ありがとう、Y。
火葬場へ行くマイクロバスの中で相方が、数珠が切れた事に何か意味があるのか検索してくれたのによると、全く不吉な事ではなくむしろ悪運や悪縁を断ち切る良い意味があるとされている事がわかった。悪い事がこれ以上続かぬようYが全てを断ち切ってくれたんだと感じた。
ご葬儀の後Yのお父さんに、時間が許すなら火葬場へも一緒に行ってお骨も拾ってやってと言われたので、いつもの仲間達と合わせ20名が同行した。
3年前に新設された市営の火葬場は、葬儀場から自動車専用道路を使えば30分ほどの距離。チラチラと舞っているだけだった雪は火葬場に近づくにつれポッポと激しくなった。
ママから連絡があり病院に駆けつけた日も大雪が降った日だったよね・・・真夏に生まれたのに余程雪が好きだったらしいとみんなで笑った。
みんなも初めて来たという新しい火葬場は、まるで現代美術館の様だった。中庭に降り積もった雪がとても綺麗で幻想的でこれから先の人生で雪を見る度にYの事を、そして今日の事を思い出すのだろうと思った。・・・そうか、それが狙いだったんだな、Y。でもそんな小細工なんてしなくても忘れるわけないだろ!
一旦控え室に荷物を置き、お別れ室へとみんなで移動した。Yの柩も既に運ばれていた。ご焼香を済ませるとこれでお顔を見られるのは最期ですと係りの方に言われた。柩の中のYの頭をさすりながら何度も何度も名前を呼び、有難う有難うとみんな口々に叫んだ。
本当にこれがYの姿を見る最後になるのだ。この瞼に、この脳裏にしっかりと焼き付けようとするが溢れ出る涙と自分の嗚咽が邪魔をする。もう何も考える事は出来なかった。ただひたすらに悲しくて寂しくて泣くだけだった。
そしてついにYの柩は轟々と鳴る無機質な空洞へと吸い込まれて行った。何度も何度もYの名前を叫んだけれど、重厚な鉄の扉は無情にも機械的に閉められ、カチャという音と共に抜き取られた鍵はお父さんの手に渡されたのだった。
控え室へと戻る間も涙は溢れ続けた。泣きながらFに絶対に死なないでくれ、親友が居なくなるからと言うと、自分だって同じだ、お互いに長生きしようと約束してくれた。
荷物を置いた控え室からは別の庭が見えた。遣り水は三途の川を模しているのだろうか。降り積もった雪と竹とのコントラストは、悲しみで掻き乱された心を少し和ませてくれた。
収骨までの時間はお弁当や食後のコーヒーを頂きながらYの思い出を語り合った。Yに最期に着せていたお気に入りの服、どうやってわかったのとママに聞くと、遺影の写真を探していてきっとコレだと確信したのだと言った。仲の良い友達の結婚式で必ず着て写っていたからと。
遺影の中で笑うYが着ている紫のスーツだった。
1時間半程経過した頃、火葬場の方が現れこれからの段取りを説明し始めた。まるで家政婦のミタの様に機械的に淡々と話す口調がやけに印象的だった。Yが居たらきっとすぐに真似をしてみんなを笑わせたろうと思った。
みんなでお別れ室へ行った。骨壷は見慣れた白い物では無く、まるでYを象徴するかの様な紫の鳳凰をあしらったカッコ良い骨壷だった。
重厚な鉄の扉が開かれ独特な口調で収骨の説明がされる。これまでの経験では火葬場の方がお骨全体を見て、長く患われていたのですねとか、しっかりした体格の持ち主だったのですねなどと言いながら、これはどこの骨だと説明してくれるのが常だったが、あくまでミタは機械的だった。
放射線治療のせいなのか、喉仏のお骨は見当たらなかった。必死に探したが見つからなかったので、そのすぐ上の袈裟仏と言われるお骨を壺の真ん中に納め最後に頭蓋骨を乗せた。
まさかこの子のお骨を拾う事になるなんてね・・・ママが言った。松剣も相方も同じ事を思った。
連絡を受け病院に駆けつけた日から5日。長い5日間だった。終わったんだ・・・もうYの姿は写真と記憶の中でしか見る事が出来ないんだ・・・
ママがお骨を抱き、お父さんは荷物を持っていたので松剣が遺影を抱きしめ帰りのバスに乗り込んだ。最期の最期までちゃんとお見送りが出来て良かったな。お父さんとママの配慮が嬉しかった。
葬儀場に戻るとYのお父さんがお骨まで拾ってくれて有難う、仲良くしてくれて本当に有難うと何度もお礼を言われた。そしてママは、あの子の分まで元気に楽しく生きてねと・・・
仲間のみんなが歳を取りそれ相応になってゆく中で、Yはいつも寂しそうにしていた。みんな変わってしまったと嘆く、大人になり切れないピーターパンの様なヤツだった。
Yは生前こう漏らしていた。やっぱり最期はオトンとオカンに看取ってもらいたいのだと。
そんなYが今際の際に見たのは、大好きなオトンと自慢のオカンの顔だっただろうか・・・
最期に聴いたのはYの名を呼ぶ大好きな二人の声だったのだろうか・・・
そしてその胸に去来したのは、Yが一番輝いていた頃の事なのか、それとも大好きなオトンとオカンとの最後の一年間の生活だったのだろうか・・・
来世も大好きなオトンとオカンの子として、今度は順番通り二人のお骨を拾える健康な身体で生まれ変われますように・・・どうしてこんな辛い目に遭わなきゃいけないのかと背中をさするママの事が忘れられないから・・・どうか絶対に長生き出来る元気な身体で。
親友でいてくれて本当に幸せだった。これからもずっとずっと永遠に親友だから!そして来世も親友として出会えますように。
また逢う日まで、さようなら。安らかに・・・最後にもう一度ありがとう、Y。
2014年12月28日日曜日
永遠の親友、その3
本当に逝ってしまったのだろうか・・・信じられないまま、受け入れられないまま朝を迎えたが相方の携帯やLINEにお通夜の会場や時間など具体的な情報が次々と入る。
やっぱり本当だったんだ・・・本当にYは逝ってしまったんだ・・・じわじわと悲しみと悔しさ、そして言いようのない切なさが込み上げて来る。
本当は一旦家に連れて帰りたいと家族は考えたそうだが、真っ直ぐではない階段の上に玄関がある家の構造を考えると諦めざるを得ず、病院から直接葬儀場へ連れて行ったそうだと連絡があった。
早く会いたい、顔が見たい・・・お通夜は18時から、松剣宅から車で20分程の葬儀場だと言うが、こんな朝早い時間に行くと迷惑だろうな・・・夕方時間より少し早めに行く事に決め、礼服やお香典の準備をしていると相方が、Yは華やかな雰囲気が大好きだったから友人一同で花を送ったらどうかと良い事に気づいてくれた。早速賛同者を募ると十数人集まったので『親友一同』として一対手配し夕方を待った。
喪服に着替えYの好きだったビールを買い、途中で相方の友人を乗せ葬儀場に向かった。
先に来ていたFが穏やかで綺麗な顔をしているよ、まだ控え室にいるからと案内してくれた。
控え室でママの姿を見つけると一気に涙が溢れた。大変だったね、辛かったですねと言うのが精一杯だった。我が子同然のまりもを看取った松剣と相方の辛さとよく似ているのかな・・・いや、きっとそれ以上なのだと思うと胸が張り裂けそうだった。
相方は既に柩の前で号泣していた。よく頑張ったね、今までありがとう、友達でいてくれてありがとうねと。ママは泣きじゃくる松剣に、苦しそうな表情じゃないんよ、凄く穏やかで寝ているようなんよ、見てやってと涙を拭きながら言った。
最後に会った時の、苦しそうに眉間にしわを寄せた表情は何処にも無く、今にも目を覚ましそうに穏やかな表情で横たわっていた。柩の上にビールを置いて相方と一緒に泣きながら手を合わせる。それでもやっぱり本当は寝ているだけじゃないのかと信じられなかった。
お通夜が始まりお寺さんの読経の中でYの生前の名前と戒名が読み上げられた。Yらしい良い名前を付けてもらったね・・・謝りたい事も沢山あったのに・・・一緒に行こうと約束していた温泉旅館、海水浴でのBBQ・・・約束も果たせてないままじゃん。色んな思いが込み上げ、まりもの時と同じくらい涙は止まる事なくいつまでも流れ続けた。
『面白い変なヤツが居る』。中学の後輩に紹介されたのは松剣19歳、Yはまだ高校3年生だった。汗臭い剣道部での青春時代を過ごした松剣の周りをいくら探しても見当たらない、強烈なキャラだった。
そして松剣とYは何もかもが正反対だった。神経質で綺麗好きでオシャレなY。話上手で人を笑わせるのが得意なY。ハチャメチャで木の橋でさえ叩かずに渡ってしまう。だけど憎めず放ったらかしには出来ないY。
食べ物の好みも全く違った。なのに毎日のように一緒に遊び、土曜日は朝まで居酒屋でいろんな話をした。童顔な2人でパチンコを打っていると18歳になっているかと店員に聞かれ、2人して憤慨した事もあったな。その内に誕生日が同じ事に気付きもっと親密に感じたんだっけ。
二十歳だった頃だな。お経を聞きながら色んな事を思い出した。
無事にお通夜が終わると、Yのお父さんが控え室に食事を準備しているから食べて帰ってと言って下さった。アウトローで親戚付き合いを嫌ったYの為に友人葬の形にしたから遠慮は無用との事だったので、親しかった友人達30名余りがママやお父さん達と賑やかに語り合い、Yの柩の前で何度も乾杯した。松剣もお茶で乾杯!この日は家族に混じってFをはじめ数名が夜伽をしたのだった。
翌日。松剣はやり残した仕事があったので朝6時〜10時まで職場に行き、相方は休みを取れたので11時半からのお葬式に二人で出席した。泣き腫らした目は寝不足も加わり重くて仕方が無かった。
昨日と同じお寺さんのお経でお葬式は粛々と執り行われた。今日でYの姿を見るのは最期と思うと昨日よりもっともっと涙が出た。若い頃から長生きはゴメンだと言っていたY。でも早すぎるよ・・・もっと話したい事あったのに。悔しくて無念でたまらなかった。それにしても今年は散々な年だったな・・・こんな悲しい事ばかり・・・
ご葬儀が無事に終わった後、お寺さんがこんな話をして下さった。
仏教では人が亡くなると、何とか如来さんと何とか菩薩さんだっけ?が迎えに来て、蓮の花の上にそっと寝かせてつぼみを閉じる。閉じたつぼみの中でゆっくりと仏様の元に行き、四十九日後に仏様になる為の修行を始め、その後は残された大切な人が迷わぬよう導いてくれる存在になると。
あり得ないと思った。みんなもそう思った。Yが四十九日もジッとしていられる訳がないし、
素直に修行なんてする訳ないじゃん。いつ迄も『遊び人Y』のままに決まっていると。
やがて出棺の時が来た。涙か鼻水かもわからないくらい顔はグショグショだった。Yの周りを花で一杯にし、好きだった煙草を顔の横に置いた。そうして棺のふたを閉める時が来たけれど、みんなYの名前を泣き叫び、なかなかふたを閉じられなかった。
柩を霊柩車に乗せるので手伝って下さいと言われ数珠をポケットに入れ先頭で柩を支え霊柩車に乗せた。拭いても拭いても涙は止まらない。その時だった。会館の方が、どなたか落とされませんでしたかと数珠の房だけを持って回って来られた。何か見覚えある・・・ポケットに手を入れると中で数珠がバラバラになっていた。
やっぱり本当だったんだ・・・本当にYは逝ってしまったんだ・・・じわじわと悲しみと悔しさ、そして言いようのない切なさが込み上げて来る。
本当は一旦家に連れて帰りたいと家族は考えたそうだが、真っ直ぐではない階段の上に玄関がある家の構造を考えると諦めざるを得ず、病院から直接葬儀場へ連れて行ったそうだと連絡があった。
早く会いたい、顔が見たい・・・お通夜は18時から、松剣宅から車で20分程の葬儀場だと言うが、こんな朝早い時間に行くと迷惑だろうな・・・夕方時間より少し早めに行く事に決め、礼服やお香典の準備をしていると相方が、Yは華やかな雰囲気が大好きだったから友人一同で花を送ったらどうかと良い事に気づいてくれた。早速賛同者を募ると十数人集まったので『親友一同』として一対手配し夕方を待った。
喪服に着替えYの好きだったビールを買い、途中で相方の友人を乗せ葬儀場に向かった。
先に来ていたFが穏やかで綺麗な顔をしているよ、まだ控え室にいるからと案内してくれた。
控え室でママの姿を見つけると一気に涙が溢れた。大変だったね、辛かったですねと言うのが精一杯だった。我が子同然のまりもを看取った松剣と相方の辛さとよく似ているのかな・・・いや、きっとそれ以上なのだと思うと胸が張り裂けそうだった。
相方は既に柩の前で号泣していた。よく頑張ったね、今までありがとう、友達でいてくれてありがとうねと。ママは泣きじゃくる松剣に、苦しそうな表情じゃないんよ、凄く穏やかで寝ているようなんよ、見てやってと涙を拭きながら言った。
最後に会った時の、苦しそうに眉間にしわを寄せた表情は何処にも無く、今にも目を覚ましそうに穏やかな表情で横たわっていた。柩の上にビールを置いて相方と一緒に泣きながら手を合わせる。それでもやっぱり本当は寝ているだけじゃないのかと信じられなかった。
お通夜が始まりお寺さんの読経の中でYの生前の名前と戒名が読み上げられた。Yらしい良い名前を付けてもらったね・・・謝りたい事も沢山あったのに・・・一緒に行こうと約束していた温泉旅館、海水浴でのBBQ・・・約束も果たせてないままじゃん。色んな思いが込み上げ、まりもの時と同じくらい涙は止まる事なくいつまでも流れ続けた。
『面白い変なヤツが居る』。中学の後輩に紹介されたのは松剣19歳、Yはまだ高校3年生だった。汗臭い剣道部での青春時代を過ごした松剣の周りをいくら探しても見当たらない、強烈なキャラだった。
そして松剣とYは何もかもが正反対だった。神経質で綺麗好きでオシャレなY。話上手で人を笑わせるのが得意なY。ハチャメチャで木の橋でさえ叩かずに渡ってしまう。だけど憎めず放ったらかしには出来ないY。
食べ物の好みも全く違った。なのに毎日のように一緒に遊び、土曜日は朝まで居酒屋でいろんな話をした。童顔な2人でパチンコを打っていると18歳になっているかと店員に聞かれ、2人して憤慨した事もあったな。その内に誕生日が同じ事に気付きもっと親密に感じたんだっけ。
二十歳だった頃だな。お経を聞きながら色んな事を思い出した。
無事にお通夜が終わると、Yのお父さんが控え室に食事を準備しているから食べて帰ってと言って下さった。アウトローで親戚付き合いを嫌ったYの為に友人葬の形にしたから遠慮は無用との事だったので、親しかった友人達30名余りがママやお父さん達と賑やかに語り合い、Yの柩の前で何度も乾杯した。松剣もお茶で乾杯!この日は家族に混じってFをはじめ数名が夜伽をしたのだった。
翌日。松剣はやり残した仕事があったので朝6時〜10時まで職場に行き、相方は休みを取れたので11時半からのお葬式に二人で出席した。泣き腫らした目は寝不足も加わり重くて仕方が無かった。
昨日と同じお寺さんのお経でお葬式は粛々と執り行われた。今日でYの姿を見るのは最期と思うと昨日よりもっともっと涙が出た。若い頃から長生きはゴメンだと言っていたY。でも早すぎるよ・・・もっと話したい事あったのに。悔しくて無念でたまらなかった。それにしても今年は散々な年だったな・・・こんな悲しい事ばかり・・・
ご葬儀が無事に終わった後、お寺さんがこんな話をして下さった。
仏教では人が亡くなると、何とか如来さんと何とか菩薩さんだっけ?が迎えに来て、蓮の花の上にそっと寝かせてつぼみを閉じる。閉じたつぼみの中でゆっくりと仏様の元に行き、四十九日後に仏様になる為の修行を始め、その後は残された大切な人が迷わぬよう導いてくれる存在になると。
あり得ないと思った。みんなもそう思った。Yが四十九日もジッとしていられる訳がないし、
素直に修行なんてする訳ないじゃん。いつ迄も『遊び人Y』のままに決まっていると。
やがて出棺の時が来た。涙か鼻水かもわからないくらい顔はグショグショだった。Yの周りを花で一杯にし、好きだった煙草を顔の横に置いた。そうして棺のふたを閉める時が来たけれど、みんなYの名前を泣き叫び、なかなかふたを閉じられなかった。
柩を霊柩車に乗せるので手伝って下さいと言われ数珠をポケットに入れ先頭で柩を支え霊柩車に乗せた。拭いても拭いても涙は止まらない。その時だった。会館の方が、どなたか落とされませんでしたかと数珠の房だけを持って回って来られた。何か見覚えある・・・ポケットに手を入れると中で数珠がバラバラになっていた。
2014年12月26日金曜日
永遠の親友、その2
一時期は『ラッタッタ』に乗ってパチンコに行けるほど元気になっていた。お父さんとママと三人で買い物にもよく出掛け、夜は野球や相撲を見ながら三人で晩酌も楽しんだ。あまり沢山は食べられないけど三食ちゃんと作って出してくれるオカンに悪いからと、ママの手料理を頑張って食べた。
自由気ままで学生時代は家出を繰り返し、滅多に実家には顔を出さなかったYはそれまでの親子の時間を取り戻そうとしているかの様で、今が一番幸せかもしれないと思った。
しかし穏やかな時間は長くは続かなかった。我が家で獅子鍋パーティーをした頃から外出が困難になり、大好きな酒も飲めなくなっていった。外出できないYが退屈そうだからみんなで家に遊びに来てやってとママから言われ、大勢で押し掛け牡蠣鍋パーティーをしたのは入院する前日、12月7日の事だった。
随分息が苦しそうで鍋に手を付ける事は無かった。こたつの座椅子にもたれ、みんなの会話を聞いているだけだったが、それだけでも楽しいのだ、みんなとオカンが楽しそうにしているのを見ているだけで嬉しいのだとYは言った。
この時Yはワン子と暮らしたいと言った。みんなはそんな身体じゃ無理だ、面倒なんて見られる訳ないじゃんと笑い、ママもこれ以上世話が焼ける生き物は勘弁してよと言い、みんなで笑った。Yも笑ったが、ポツリとこう言った。誰かの役に立っていると言う実感が欲しいと。
ここ数年、仕事が上手くいっていなかったY。夢や目標も無く誰かの為に生きている訳でも無かった。そんな時に発覚した病のせいで生きる希望さえ見つけられなかったのかもしれない。
翌日入院した時は身体の酸素濃度が異常に低くなっていたらしく、鼻からの酸素吸入で少し楽になったと聞いた。しかし酸素ボンベを引いて歩く別の入院患者を見て、あんなにスタスタ歩ける様にはなりそうも無い、もうダメな気がするとFに言ったらしい。Fには返す言葉も見つからなかった。
その週末相方と見舞った時は、牡蠣鍋をした日より元気そうに見えた。オカンが冬瓜を炊いて持って来てくれたけど半分しか食べられなかったから松さん食べてよ、いい出汁が出ていて美味しいからと言うので、相方と残りを全部食べた。相変わらず旨い!ママの手料理は何を食べても美味しいねと言うと、少し誇らしげに笑った。
翌日Yから新人看護師によるイベントがあるから来ないかと連絡があった。なんでも昨年見た時えらく感動したらしいのだ。今日は剣道の稽古があるから行けないと断わるとイベントの様子を、昨年ほど感動しなかったというコメント付きでLINEにUPして来た。随分元気そうになったねと相方と喜んでいたのだが・・・
その2日後の大雪が降り積もった17日の夕方ママからM美に連絡が入った。あまりの痛さにYがもう楽になりたいというので、痛み止めの量を増やす事に決めたというのだ。この点滴を入れると昏睡状態になるので今のうちに会ってやって欲しいと。
えっ?!どう言う事?随分元気そうになってたじゃん・・・なんで?痛み止めも効かなくなったと言う事?職場に掛かって来た相方からの電話を理解する事は出来なかった。
そんなに痛かったんだ・・・気付いてやれなくてごめん。何とか意識があるうちに会いたい。雪が残っている中、車を飛ばした。
相方と病院に駆け付けると友人みんな来ていた。松剣の知らない顔も沢山あった。松さん来てくれたよ、わかる?ママの問い掛けに薄っすらと目を開け力無く頷いた。
痛い、痛いと顔をしかめるYの背中をママとM子ちゃんと松剣が交代でさすった。骨と皮だけになった背中をさするママの手を見ると涙が溢れた。ママの気持ちを思うと切なくて苦しくてやり切れなかった。
翌日は仕事が手につかなかった。何とかもう一度生きているYに会いたい。まだ迎えに来ちゃダメだからね!何度も心の中でまりもにお願いしながら仕事を片付け相方と病院へ急いだ。
前日より痛みは和らいだ様子だった。松剣来たよ、わかる?昨日よりしっかり頷いた。足裏のマッサージをしながら、どんな?気持ちいい?と聞くとウン、ウンと2回頷いた。今日はお茶もよく飲んだとM子ちゃんが嬉しそうに言った。
翌日も相方と病院に寄った。前日より調子が良くアイスクリームを座って食べたと聞き、少し嫌な予感がした。後からやって来たFの事もしっかりわかっていて、時折会話に加わり何度も笑った。少し強めにYの足の裏を揉んでいると相方が、そんなに強く揉んだら痛いよと言ったが、気持ちいいと、ハッキリした口調で言ってくれた。
Fがまた明日来るからとYに声を掛け帰ろうとした時、Fの背中に向けて握手をしようと右手を伸ばした。松剣だけじゃなく病室に居合わせた全員、嫌な予感だと思った。
松剣には、松さん上着忘れんさんなと2回も言った。お見舞いに行って上着を脱いでそのまま忘れて帰ってしまい、相方に叱られた事を心配してくれたのだ。
みんな帰った後、面会時間はとっくに過ぎていたけれどママからYの幼い頃の話を聞いた。甘えたい時期に弟が生まれ手をかけてやれなかった事をママはとても悔やんでいた。でも病気がわかって実家でママの手料理を食べながら療養出来た時間はYにとって、とても幸せな時間だったに違いないと伝えた。
じゃあまた、明日来るから。ちゃんと上着持ったよと言うと、Yは笑いながら頷き手を振った。病室を出る時ママが廊下まで送ってくれ、看護師さんからYを連れて帰る準備をしてくれと言われたので、お気に入りの服を取りに帰ったのだと打ち明けてくれた。覚悟はしていたけどね・・・そう言って涙ぐむママの背中をさすってあげる事しか出来なかった。
次の日も相方と病院へ行くと昨日の調子の良さは全く無く、痛そうに眉間にしわを寄せ苦しそうに何度も身をよじっていた。熱も39度あり頭も痛がったが名前を呼ぶと薄っすら目を開けた。
ほんの少し前、とても痛がって大変だったとM子ちゃんが言った。交代でママが食事に行っていたらしく、身内の方が居てくれないと困ると叱られたのだと聞き、いよいよかもしれないと思った。
点滴を交換に来た看護師さんがママを廊下に出るよう促した。少し経って病室に戻って来たママは今日は帰らない事にしたから送ってくれなくても良くなったとS美ちゃんに言った。Yのお父さんと交代で一休みするのは止めたからと。更に看護師さんがYに質問形式で話す事を禁じた。
相方が病室に来ていた全員を廊下に呼び出し、今日はもう帰ろう、そろそろ家族だけの時間にしてあげた方が良いと思うと言った。M子ちゃんは泣いたがYのお父さんも来たので納得してくれた。
本当はずっとYの背中をさすっていたかった。足の裏も揉んでいたかった。後ろ髪を引かれる思いで明日又来るからとYに声を掛け、M子ちゃんとS美ちゃんと一緒に病室を後にした。
エレベーターの中でM子ちゃんとS美ちゃんは肩を抱き合うように泣いていた。松剣も相方も泣いた。1階の待合室を通り抜ける間も、駐車場に着いてからもずっと泣いた。あぁ、これがきっと最期なんだと思うと、まりもとのお別れが近づいた時の様に苦しくなった。
車に乗って涙を拭き、スーパーに立ち寄った後帰宅した。剣道の忘年会だったがとても行く気になれず、何となく家で過ごしていた。Yにはもう一度生きて会いたいと思ったが、苦しい時間が長引くだけならもう頑張れとは思えなかった。
20時39分。それまで痛い、痛いと言っていたYが反応しなくなり、呼び掛けにも応えなくなり、静かに息を引き取ったと言う。苦しそうだった表情はすっと和らいだのだそうだ。
21時過ぎにM美から連絡があったが実感が湧かなかった。
自由気ままで学生時代は家出を繰り返し、滅多に実家には顔を出さなかったYはそれまでの親子の時間を取り戻そうとしているかの様で、今が一番幸せかもしれないと思った。
しかし穏やかな時間は長くは続かなかった。我が家で獅子鍋パーティーをした頃から外出が困難になり、大好きな酒も飲めなくなっていった。外出できないYが退屈そうだからみんなで家に遊びに来てやってとママから言われ、大勢で押し掛け牡蠣鍋パーティーをしたのは入院する前日、12月7日の事だった。
随分息が苦しそうで鍋に手を付ける事は無かった。こたつの座椅子にもたれ、みんなの会話を聞いているだけだったが、それだけでも楽しいのだ、みんなとオカンが楽しそうにしているのを見ているだけで嬉しいのだとYは言った。
この時Yはワン子と暮らしたいと言った。みんなはそんな身体じゃ無理だ、面倒なんて見られる訳ないじゃんと笑い、ママもこれ以上世話が焼ける生き物は勘弁してよと言い、みんなで笑った。Yも笑ったが、ポツリとこう言った。誰かの役に立っていると言う実感が欲しいと。
ここ数年、仕事が上手くいっていなかったY。夢や目標も無く誰かの為に生きている訳でも無かった。そんな時に発覚した病のせいで生きる希望さえ見つけられなかったのかもしれない。
翌日入院した時は身体の酸素濃度が異常に低くなっていたらしく、鼻からの酸素吸入で少し楽になったと聞いた。しかし酸素ボンベを引いて歩く別の入院患者を見て、あんなにスタスタ歩ける様にはなりそうも無い、もうダメな気がするとFに言ったらしい。Fには返す言葉も見つからなかった。
その週末相方と見舞った時は、牡蠣鍋をした日より元気そうに見えた。オカンが冬瓜を炊いて持って来てくれたけど半分しか食べられなかったから松さん食べてよ、いい出汁が出ていて美味しいからと言うので、相方と残りを全部食べた。相変わらず旨い!ママの手料理は何を食べても美味しいねと言うと、少し誇らしげに笑った。
翌日Yから新人看護師によるイベントがあるから来ないかと連絡があった。なんでも昨年見た時えらく感動したらしいのだ。今日は剣道の稽古があるから行けないと断わるとイベントの様子を、昨年ほど感動しなかったというコメント付きでLINEにUPして来た。随分元気そうになったねと相方と喜んでいたのだが・・・
その2日後の大雪が降り積もった17日の夕方ママからM美に連絡が入った。あまりの痛さにYがもう楽になりたいというので、痛み止めの量を増やす事に決めたというのだ。この点滴を入れると昏睡状態になるので今のうちに会ってやって欲しいと。
えっ?!どう言う事?随分元気そうになってたじゃん・・・なんで?痛み止めも効かなくなったと言う事?職場に掛かって来た相方からの電話を理解する事は出来なかった。
そんなに痛かったんだ・・・気付いてやれなくてごめん。何とか意識があるうちに会いたい。雪が残っている中、車を飛ばした。
相方と病院に駆け付けると友人みんな来ていた。松剣の知らない顔も沢山あった。松さん来てくれたよ、わかる?ママの問い掛けに薄っすらと目を開け力無く頷いた。
痛い、痛いと顔をしかめるYの背中をママとM子ちゃんと松剣が交代でさすった。骨と皮だけになった背中をさするママの手を見ると涙が溢れた。ママの気持ちを思うと切なくて苦しくてやり切れなかった。
翌日は仕事が手につかなかった。何とかもう一度生きているYに会いたい。まだ迎えに来ちゃダメだからね!何度も心の中でまりもにお願いしながら仕事を片付け相方と病院へ急いだ。
前日より痛みは和らいだ様子だった。松剣来たよ、わかる?昨日よりしっかり頷いた。足裏のマッサージをしながら、どんな?気持ちいい?と聞くとウン、ウンと2回頷いた。今日はお茶もよく飲んだとM子ちゃんが嬉しそうに言った。
翌日も相方と病院に寄った。前日より調子が良くアイスクリームを座って食べたと聞き、少し嫌な予感がした。後からやって来たFの事もしっかりわかっていて、時折会話に加わり何度も笑った。少し強めにYの足の裏を揉んでいると相方が、そんなに強く揉んだら痛いよと言ったが、気持ちいいと、ハッキリした口調で言ってくれた。
Fがまた明日来るからとYに声を掛け帰ろうとした時、Fの背中に向けて握手をしようと右手を伸ばした。松剣だけじゃなく病室に居合わせた全員、嫌な予感だと思った。
松剣には、松さん上着忘れんさんなと2回も言った。お見舞いに行って上着を脱いでそのまま忘れて帰ってしまい、相方に叱られた事を心配してくれたのだ。
みんな帰った後、面会時間はとっくに過ぎていたけれどママからYの幼い頃の話を聞いた。甘えたい時期に弟が生まれ手をかけてやれなかった事をママはとても悔やんでいた。でも病気がわかって実家でママの手料理を食べながら療養出来た時間はYにとって、とても幸せな時間だったに違いないと伝えた。
じゃあまた、明日来るから。ちゃんと上着持ったよと言うと、Yは笑いながら頷き手を振った。病室を出る時ママが廊下まで送ってくれ、看護師さんからYを連れて帰る準備をしてくれと言われたので、お気に入りの服を取りに帰ったのだと打ち明けてくれた。覚悟はしていたけどね・・・そう言って涙ぐむママの背中をさすってあげる事しか出来なかった。
次の日も相方と病院へ行くと昨日の調子の良さは全く無く、痛そうに眉間にしわを寄せ苦しそうに何度も身をよじっていた。熱も39度あり頭も痛がったが名前を呼ぶと薄っすら目を開けた。
ほんの少し前、とても痛がって大変だったとM子ちゃんが言った。交代でママが食事に行っていたらしく、身内の方が居てくれないと困ると叱られたのだと聞き、いよいよかもしれないと思った。
点滴を交換に来た看護師さんがママを廊下に出るよう促した。少し経って病室に戻って来たママは今日は帰らない事にしたから送ってくれなくても良くなったとS美ちゃんに言った。Yのお父さんと交代で一休みするのは止めたからと。更に看護師さんがYに質問形式で話す事を禁じた。
相方が病室に来ていた全員を廊下に呼び出し、今日はもう帰ろう、そろそろ家族だけの時間にしてあげた方が良いと思うと言った。M子ちゃんは泣いたがYのお父さんも来たので納得してくれた。
本当はずっとYの背中をさすっていたかった。足の裏も揉んでいたかった。後ろ髪を引かれる思いで明日又来るからとYに声を掛け、M子ちゃんとS美ちゃんと一緒に病室を後にした。
エレベーターの中でM子ちゃんとS美ちゃんは肩を抱き合うように泣いていた。松剣も相方も泣いた。1階の待合室を通り抜ける間も、駐車場に着いてからもずっと泣いた。あぁ、これがきっと最期なんだと思うと、まりもとのお別れが近づいた時の様に苦しくなった。
車に乗って涙を拭き、スーパーに立ち寄った後帰宅した。剣道の忘年会だったがとても行く気になれず、何となく家で過ごしていた。Yにはもう一度生きて会いたいと思ったが、苦しい時間が長引くだけならもう頑張れとは思えなかった。
20時39分。それまで痛い、痛いと言っていたYが反応しなくなり、呼び掛けにも応えなくなり、静かに息を引き取ったと言う。苦しそうだった表情はすっと和らいだのだそうだ。
21時過ぎにM美から連絡があったが実感が湧かなかった。
2014年12月24日水曜日
永遠の親友、その1
少しはにかんだ様ないつもの笑顔で遊び人Yは遺影の中に居た。一張羅を着た20代前半の、Yが一番輝いていた頃の若い笑顔だった。
12月20日 。松剣の大切な親友Yが逝った。1年間の闘病の末、太く短く自由奔放な生涯を閉じた。組織や規律に従う事を嫌ったYはお父さんが経営する会社には目もくれず、高校卒業後は夜の世界へ飛び込み家業は弟が継いだ。
Yは頑張り20代前半には既に店を持つまでになっていて、そんなYをいつも凄いなぁと尊敬し眩しく思っていた。バブル景気で店はとても繁盛していて、飲めない松剣もボトルをキープし月に1〜2回店を訪れ、水のように薄〜い水割りを作ってもらい人のカラオケを聞きながらカウンターでうとうとするのが楽しみだった。Yと話しているととても楽しかったし松さん、松さんと、Yも喜んでくれた。
しかしバブルが終わりみんなそれなりの年齢にもなり、店の経営は難しくなった。その後は長距離トラックに乗ったり家業を手伝うなど職を転々とし、生活は楽では無かった。
Yに食道がんが見つかったのは昨年11月の初めだった。既にステージⅣでリンパ節への転移もあり、久々に会ったYは枯れ木のように痩せていた。どうしてこんなになるまで医者へ行かなかったのかと問うと、もう何か月も前からのどに違和感があったので耳鼻科へ行き、そこで異常なしと言われたので暫く様子を見ていたのだと答えた。
しかしどうもこの違和感はただ事ではないと思い内科を受診して発覚したのだと言う。水を飲むと鼻から出てしまう程通りが悪かったのだが、放射線と抗がん剤による治療で少しずつがんは小さくなり、ゆっくりではあるが口から食べれらるようになった。住んでいたアパートを引き払い、実家での療養生活と抗がん剤治療の時だけ入院する生活が始まった。
Yのお母さんはとても美人で料理の腕はプロ級。小料理屋を営んでいた。松剣はじめ、このブログに登場する仲間たちは親しみを込めYのお母さんの事を『ママ』と呼び、お店に寄っては手料理に舌鼓を打ったものだ。そんなママの美味しい手料理のお陰で少しずつ体重も増えたが、がんは憎たらしく肺へ転移しやがった。Yのお父さんは国立病院への転院を勧めたが、義理堅いYは先生や看護師さんにはお世話になっているからと、頑なに拒んだのだ。
それでもYは細々と5年位はのらりくらりと生きるとみんな思っていた。Y自身もそう思っていた。しかし、憎いがんは容赦無くYを苦しめた。肺だけで無く肝臓と骨にまで転移し、先月余命1年と診断されたのだが、その割にはとても辛そうでとても1年も持ちこたえそうも無く、余程しんどかったのだろう、今月8日に自分から入院したのだった。
12月20日 。松剣の大切な親友Yが逝った。1年間の闘病の末、太く短く自由奔放な生涯を閉じた。組織や規律に従う事を嫌ったYはお父さんが経営する会社には目もくれず、高校卒業後は夜の世界へ飛び込み家業は弟が継いだ。
Yは頑張り20代前半には既に店を持つまでになっていて、そんなYをいつも凄いなぁと尊敬し眩しく思っていた。バブル景気で店はとても繁盛していて、飲めない松剣もボトルをキープし月に1〜2回店を訪れ、水のように薄〜い水割りを作ってもらい人のカラオケを聞きながらカウンターでうとうとするのが楽しみだった。Yと話しているととても楽しかったし松さん、松さんと、Yも喜んでくれた。
しかしバブルが終わりみんなそれなりの年齢にもなり、店の経営は難しくなった。その後は長距離トラックに乗ったり家業を手伝うなど職を転々とし、生活は楽では無かった。
Yに食道がんが見つかったのは昨年11月の初めだった。既にステージⅣでリンパ節への転移もあり、久々に会ったYは枯れ木のように痩せていた。どうしてこんなになるまで医者へ行かなかったのかと問うと、もう何か月も前からのどに違和感があったので耳鼻科へ行き、そこで異常なしと言われたので暫く様子を見ていたのだと答えた。
しかしどうもこの違和感はただ事ではないと思い内科を受診して発覚したのだと言う。水を飲むと鼻から出てしまう程通りが悪かったのだが、放射線と抗がん剤による治療で少しずつがんは小さくなり、ゆっくりではあるが口から食べれらるようになった。住んでいたアパートを引き払い、実家での療養生活と抗がん剤治療の時だけ入院する生活が始まった。
Yのお母さんはとても美人で料理の腕はプロ級。小料理屋を営んでいた。松剣はじめ、このブログに登場する仲間たちは親しみを込めYのお母さんの事を『ママ』と呼び、お店に寄っては手料理に舌鼓を打ったものだ。そんなママの美味しい手料理のお陰で少しずつ体重も増えたが、がんは憎たらしく肺へ転移しやがった。Yのお父さんは国立病院への転院を勧めたが、義理堅いYは先生や看護師さんにはお世話になっているからと、頑なに拒んだのだ。
それでもYは細々と5年位はのらりくらりと生きるとみんな思っていた。Y自身もそう思っていた。しかし、憎いがんは容赦無くYを苦しめた。肺だけで無く肝臓と骨にまで転移し、先月余命1年と診断されたのだが、その割にはとても辛そうでとても1年も持ちこたえそうも無く、余程しんどかったのだろう、今月8日に自分から入院したのだった。
2014年12月16日火曜日
やっぱり箱が好き
相方の妹の友達もニャン子と暮らしているそうで、きっと喜ぶだろうとネットで大量注文したという『つめとぎBOX』。何だかワクワクするパッケージ!
しかしなぜか見向きもしなかったそうで、あんずにと持って帰った来たわけだ。
ニャン子の匂いがするのか部屋に持って入っただけで興味津々。早速相方が組み立て始めると近寄って来た。興奮すると鼻の横が膨らむんです。
もう入りたくって仕方がない。
組み立てられないよ~!すぐだからちょっと待って!
最近だるまさんのように丸っこくなってきたから穴小さっ!大丈夫なのさっ。頭が通れば入れるにゃん。
だからちょっと待ってよ〜!相方が笑ながら組み立てる。松剣も見ていて可笑しくなる。
かわいいなぁ、あんず。
我慢できにゃい!
入っちゃった。ダメじゃん!そこに座ったら組み立てられないよ・・・
仕方ないねぇ・・・じゃあそこに居ても良いからジッとして!
カリカリ・・・つめとぎまだ入れていないんですけど!
たったこれだけの箱を組み立てるのにあんずが邪魔するから15分も要した相方。やっと完成。って、もう入っとるし。しかも中でまったりしとるやないけ!
相当気に入ったようだ。良かったね、あんず・・・しかし、である。2階に豪華なキャットタワー、あったよね?結局購入して1か月以上経過するが一度も遊んでくれない・・・トホホ。遊んでくれないどころか、無理やり乗せるとニャァ~~!と悲痛な叫び声を上げて抵抗を示す。そんな嫌がらなくても!
ニャン子もそれぞれなんだね。職場の先輩Nさんのニャン子『あずき』はタワーが大好きらしい。器用なNさんの手作りタワーだそうな。
友人Fが会社で可愛がっているニャン子は、何でも一緒に食べたがると言う。お昼の弁当を食べるのも一苦労らしい。あんずはフードとかつお節しか食べないのにね。
みんな違って、みんなかわいい。あれっ?どっかで聞いたような・・・
しかしなぜか見向きもしなかったそうで、あんずにと持って帰った来たわけだ。
ニャン子の匂いがするのか部屋に持って入っただけで興味津々。早速相方が組み立て始めると近寄って来た。興奮すると鼻の横が膨らむんです。
もう入りたくって仕方がない。
組み立てられないよ~!すぐだからちょっと待って!
最近だるまさんのように丸っこくなってきたから穴小さっ!大丈夫なのさっ。頭が通れば入れるにゃん。
だからちょっと待ってよ〜!相方が笑ながら組み立てる。松剣も見ていて可笑しくなる。
かわいいなぁ、あんず。
我慢できにゃい!
入っちゃった。ダメじゃん!そこに座ったら組み立てられないよ・・・
仕方ないねぇ・・・じゃあそこに居ても良いからジッとして!
カリカリ・・・つめとぎまだ入れていないんですけど!
たったこれだけの箱を組み立てるのにあんずが邪魔するから15分も要した相方。やっと完成。って、もう入っとるし。しかも中でまったりしとるやないけ!
相当気に入ったようだ。良かったね、あんず・・・しかし、である。2階に豪華なキャットタワー、あったよね?結局購入して1か月以上経過するが一度も遊んでくれない・・・トホホ。遊んでくれないどころか、無理やり乗せるとニャァ~~!と悲痛な叫び声を上げて抵抗を示す。そんな嫌がらなくても!
ニャン子もそれぞれなんだね。職場の先輩Nさんのニャン子『あずき』はタワーが大好きらしい。器用なNさんの手作りタワーだそうな。
友人Fが会社で可愛がっているニャン子は、何でも一緒に食べたがると言う。お昼の弁当を食べるのも一苦労らしい。あんずはフードとかつお節しか食べないのにね。
みんな違って、みんなかわいい。あれっ?どっかで聞いたような・・・
2014年12月10日水曜日
良い子でお留守番?
あんずがひとりでお留守番をする事になってもうすぐ半年。まりもが居た頃は、会社から帰宅するとまりもだけが嬉しそうにお出迎えしてくれて、あんずは気が向いた時だけという感じだったが、最近ではちゃんと玄関でニャーと鳴いて待ってくれて居る。
今日も玄関にちょこんと座ってお出迎えしてくれたのだが、電気を点けると廊下に見慣れない物が転がっていた。うんん??何だ?
近くに寄って見ると・・・まりものおもちゃだ!
あんずが運んで来たんだね。
元の形は左右対称でキュッキュと音が出た。あんずがやって来る随分前にまりもに買ってやったおもちゃで、とても気に入っていた。毎日遊んでいたっけ・・・
片方の丸い部分が千切れてしまい、それでも毎日遊んでいたのでとうとう捨てられずにおもちゃ箱の中に残っていたのだ。たまに思い出した様に遊んでいたのをあんずは見ていたのだろう。懐かしくなったのかな?
奥へ入ると更におもちゃが散乱していた。朝は何も出ていなかったはず・・・おもちゃ箱から引っ張り出したピンクのネズミさん、青いボンボン。そしてドコモちゃん。ここにもまりものおもちゃが!
まりものお気に入りだったドコモちゃん。初代のドコモちゃんがボロボロになり、それでも遊んでいるのを知った会社の同僚がまりもにあげてと持って来てくれた二代目。頭の上のゴムを引っ張って飛ばしてやるのがブームだった。
ゴムはいつの間にかあんずに噛み切られ、お気に入りの遊びが出来なくなってしまったけど、これも時々思い出した様に『投げて〜!』と、おもちゃ箱から持って来たなぁ・・・
そして部屋に入るとあんずの椅子が・・・ニャンか文句ある〜?
あんずの椅子、と言う訳では無い。相方が腰を痛めたのか、松剣が膝を痛めたのかで買って来たのが、いつの間にやらあんずの所有物になっていたのだけれど。
毎日ひとりで何してるんだろ、あんず・・・隠しカメラで(別に隠さなくっても良いけど)留守中の様子を見てみたいな。
大暴れしたのだろう。お腹が空いたと猛アピール。はいはい、お待たせ!うわっっ、まん丸じゃん!最近凄い食欲だもんね。
ひとりぼっちでのお留守番は寂しいよね、あんず。でもね、松剣も相方もまだ他の子は考えられないんだよ。あまりにもまりもが可愛かったから・・・
合成が上手く出来たぞ。一緒に食べた気になれるね!
あんずがお姉ちゃんになる日、いつか必ず来ると思うけど、もう少し待ってね。
今日も玄関にちょこんと座ってお出迎えしてくれたのだが、電気を点けると廊下に見慣れない物が転がっていた。うんん??何だ?
近くに寄って見ると・・・まりものおもちゃだ!
あんずが運んで来たんだね。
元の形は左右対称でキュッキュと音が出た。あんずがやって来る随分前にまりもに買ってやったおもちゃで、とても気に入っていた。毎日遊んでいたっけ・・・
片方の丸い部分が千切れてしまい、それでも毎日遊んでいたのでとうとう捨てられずにおもちゃ箱の中に残っていたのだ。たまに思い出した様に遊んでいたのをあんずは見ていたのだろう。懐かしくなったのかな?
奥へ入ると更におもちゃが散乱していた。朝は何も出ていなかったはず・・・おもちゃ箱から引っ張り出したピンクのネズミさん、青いボンボン。そしてドコモちゃん。ここにもまりものおもちゃが!
まりものお気に入りだったドコモちゃん。初代のドコモちゃんがボロボロになり、それでも遊んでいるのを知った会社の同僚がまりもにあげてと持って来てくれた二代目。頭の上のゴムを引っ張って飛ばしてやるのがブームだった。
ゴムはいつの間にかあんずに噛み切られ、お気に入りの遊びが出来なくなってしまったけど、これも時々思い出した様に『投げて〜!』と、おもちゃ箱から持って来たなぁ・・・
そして部屋に入るとあんずの椅子が・・・ニャンか文句ある〜?
あんずの椅子、と言う訳では無い。相方が腰を痛めたのか、松剣が膝を痛めたのかで買って来たのが、いつの間にやらあんずの所有物になっていたのだけれど。
毎日ひとりで何してるんだろ、あんず・・・隠しカメラで(別に隠さなくっても良いけど)留守中の様子を見てみたいな。
大暴れしたのだろう。お腹が空いたと猛アピール。はいはい、お待たせ!うわっっ、まん丸じゃん!最近凄い食欲だもんね。
ひとりぼっちでのお留守番は寂しいよね、あんず。でもね、松剣も相方もまだ他の子は考えられないんだよ。あまりにもまりもが可愛かったから・・・
合成が上手く出来たぞ。一緒に食べた気になれるね!
あんずがお姉ちゃんになる日、いつか必ず来ると思うけど、もう少し待ってね。
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