2015年1月23日金曜日

決戦!桶狭間 その1

2泊3日の旅もいよいよ最終日。持参したiPadが悪いのか投稿ソフトが悪いのかエラーが出てブログの更新が出来ない。お蔭でチェックアウトの時間が予定より1時間以上も遅れてしまった。急げ!

本日の歴史探訪、先ずはあの桶狭間へ。スーツケースとお土産を新幹線口近くのコインロッカーに預け名鉄線で有松駅を目指す。次に来るのは快速、有松には停車しないので鳴海で乗り換え。めんどくさっ。それにしても夕べあんなに大きな味噌かつと白飯ガッツリ食べたと言うのに腹がぺこぺこ。戦の前に何か入れたいところだが、有松駅から桶狭間までのバスは1時間に1本しかない。取り敢えず向こうに行ってからにしよう。


幸い今日は土曜日、人も少なく迷わず有松駅到着。改札を抜けるといきなり萌える看板が!

















とにかく何か食べないと倒れそう。近くに喫茶店は無いかな。あった!と思ったら10:00開店。それじゃ遅いわ。バス乗り場で時間を確認すると発車まで30分少々。ここの駅もショッピングモールと合体した駅。ショッピングモールの中にありそう。

あったけど・・・コメダ・・・昨日も行ったじゃん。ま、いっか。昨日気になりつつ食べなかったアレを食っちゃえ!

気になっていたアレ






















と~っても気になっていた『シロノワール』の小を注文。 モーニングは付けますか?って、当たり前だろ。

松剣好みのパーフェクトコーヒー、あまりにも美味しかったので今日も同じミルクたっぷりシロップ入り1.5倍を注文。実はゆで卵も松剣好みの硬ゆで。ありがとう、コメダさん。

温かいパンケーキに冷たいソフトクリーム。そこへシロップをタラ~っとかけて頂く。冷たいソフトクリームとパンケーキの相性が悪いわけが無い。うまいっ!空きっ腹に沁みるぅ。ちょっとソフトクリームが融けはじめたところへ切ったパンケーキを付け付け・・・あ~なんてうまいんだろ。

おっと、こんなにゆっくりしておられん。バスに乗り遅れたら大変。少し早いけどバス停で待とう。
それにしても今朝は昨日のポカポカ陽気と違って寒っ!ジャンバーの前閉めとこ。

7分遅れでバスが到着。この辺りのバスって前から乗るんだ・・・しかも運賃前払い。巡回バスでどこまで乗っても210円だから。モタモタしてすみません。


名鉄有松駅から目的の『桶狭間古戦場公園』までバスで10分足らず。歩いても20分程度だが、歴史ファンのブログのどれを読んでも『止めときなはれ』と書いてある。


あの決戦の当時に思いを馳せて・・・なんてとんでもないのだと。今では普通の家が立ち並ぶ閑静な住宅地で、似たような風景の中できっと『迷う』のだそうだ。


こんな信号機を見つけた。ずっと来たいと思っていた桶狭間。やっと来る事が出来たと実感した。

幕山というバス停で降り、ホームセンターの角を曲がる。ついにやって来ました!
          























早速中へ・・・おおっ!若き日の信長。義元が何気にスマート。


永禄3年(1560年)5月12日、2万5千の大軍を率いて駿府を発った義元は、尾張を目指す。
対する信長軍は2千~3千、義元軍の10分の1。次々ともたらされる見方の砦陥落情報と多数の討死。清洲城に篭城するか出撃するか・・・この時信長は幸若舞の敦盛を舞って出陣の支度を整えると熱田神宮へ向かったと言われる。

負けるとはこれっぽっちも思っていなかった義元。見方が緒戦で次々と重ねる勝利に驕り高ぶっていたからと、この碑は伝えている。

そして永禄3年(1560年)5月19日13時、視界を妨げるほどの豪雨に乗じ義元本陣近くに兵を進め雨が上がった直後の14時頃に奇襲攻撃をかけたのだ。

太っていた為、輿で移動していたと言われる義元。輿を捨て300騎の親衛隊に周りを囲まれながら騎馬で退却しようとするも信長の馬廻りに追いつかれてしまう。

一番槍は服部小平太、首級を挙げたのは毛利新助良勝だった。義元は首を討たれる際、毛利の左指を喰い千切ったと言われる。享年42歳。信長は27歳だった。

ここが今川義元が討ち取られた場所。
討ち取られた首はこの泉で洗われた。

ここの公園の魅力はこれだけではない。当時の戦況を解説する『ジオラマ』があるのだ。

青い石は信長軍の城や砦、赤い石は義元軍の城や砦を、また、公園の園路は街道を、流れは川、池は海を表している。とても忠実に再現されていて感心する。
左が鳴海城、右が丹下砦

熱田の信長塀


中島砦はちゃんと川の交わる位置にある

向こうの東屋が家康の本陣
すごいぞ、この公園!考えた人えらいなぁ。ここもみゃんこさん情報。本当に来て良かったな。
それにしても450年前の決戦の日はどんな風だったのだろうか。現在の風景からはちょっと想像が出来なかった。

公園を後にして辺りを見回すと怪しげな杜が。まだ時間はあるからちょっと行って見よう。

杜へ行けそうな道はないかな・・・うん?何だ、この碑は?

なになに?桶狭間の合戦で人馬の血と雷雨でこの下の川が血に染まり、馬の鞍鐙などが流された・・・ふむふむ。その戦いの激しさは言を脱する。人はこの川を鞍流瀬川と呼ぶ。哀れな戦死者を寺の阿弥陀如来に託す為ここに浄土橋をかけ云々・・・

寺があるのか?この後思わぬ出会いが待っているのだった。

もうちょっと続くよ。

2 件のコメント:

みゃんこ さんのコメント...

この公園を喜んでもらえて、
実に嬉しいです。

かなり歴史マニアじゃないと、
ここは難度が高いんじゃないでしょうか。

松剣さん、すごい。

松剣 さんのコメント...

みゃんこさん

この公園は本当に良い公園ですよ。
全国的に見てもそうそうあるもんじゃないと思います。

解説の地図と照らし合わせれば精巧に作られている事が
わかりますね。

一つ残念だったのは、このジオラマ全体を見られない事。
上から見たら面白いだろうにと。

本当に情報沢山、有難かったです。