2014年7月27日日曜日

うさぎの楽園

まりもが居た頃は、休日の計画を立てるのが松剣と相方の楽しみだった。まりもの体調を考慮しながら比較的近場で楽しめる場所を探した。ここ良いじゃん、と思っても遠かったり、ワン子NGで諦めた場所も随分あったのだ。

そんな場所の一つに周囲4km程の小さな島がある。穏やかな瀬戸内の海に浮かぶ『うさぎの楽園』。気晴らしになればと相方と出掛ける事にした。

自宅から車で1時間ちょっと走った港からフェリーが出ている。沖合い3kmに位置する目的の島までは10数分。船内は家族連れの海水浴客やうさぎ目当ての観光客らで賑わっていた。
まりもが一緒ならもっとワクワクして楽しかっただろうね・・・そんな事を話しながら島へ到着。
小ぢんまりした港だな・・・

この島に定住者は居ないが国民休暇村があり、港から無料のシャトルバスが出ている。
島の風景は、30年程前に流行した永井博画伯の絵の様だ。
天気が良ければもっと綺麗だっただろうな。

ネットで見た通り、島の至る所に沢山のうさぎが!!
こんなに沢山居るなんて!

今はうさぎの楽園として観光客で賑わうこの島は、かつて数戸の農家が耕作を続ける穏やかな島だった。しかし、太平洋戦争が始まる14年前の昭和2年、ジュネーブ条約によって禁止されていた毒ガス製造を目的として軍の管理下となったのだ。

国際的に禁止された兵器を製造していた為、戦時中この島は周辺の島々もろとも地図から末梢され、海岸線を走る列車の窓は鎧戸が下ろされていたそうだ。
負の遺産を今に伝える毒ガス資料館。

戦後、GHQにより島にあった施設は解体され、毒ガスは海洋投棄や焼却などで処理されたが、軍の関係者や働いていた人達には箝口令が敷かれていたので、その存在は昭和59年まで殆ど知られていなかったという。

そんな悲しい歴史がある島内に、何故にこんなに沢山のうさぎが?毒ガスと何か関係があるのか?と思いきや、諸説あるが、地元の小学校で飼育されていた8羽のうさぎが放されて野生化した、と言うのが最も有力な説なのだそう。現在約700羽が生息している。

人間の食べ物はやってはいけないが、うさぎにご飯をやる事ができる。国民休暇村のロビーでワンカップ100円で販売している、うさぎのご飯を早速一つ購入。
ラビットフード。人参やキャベツ持参で来ている人も居た。

ご飯をガサゴソしていると、あっという間にうさぎに取り囲まれてしまう。
ここのうさぎは『アナウサギ』という種類。穴掘りはお任せあれ!

資料館を見学し、うさぎ達と戯れた後は少し早目の昼食。松剣は刺身定食、相方は鯛の釜めしと骨蒸し定食に。一品料理のタコの香り揚げも注文。何と釜飯セットには頼んでも居ないタコ飯が・・・釜めしにタコ飯は付かんじゃろ!
タコ飯はお返しして・・・んな訳ナイナイ!松剣有難く頂いちゃいました。

とってもお得な気分でもう一度うさぎのご飯を購入し、島内を散策。海岸沿いに変なオブジェ発見。うさぎの耳じゃん!
ヘッドホンが付いていて周囲の音が大きく聞こえるそうなのだが・・・


暑いので散策は早々に終了。あずま屋の日陰で再びうさぎと戯れる。
よっ、松剣人気者っ!

何だかまりもにおねだりされている様な錯覚に陥り、幸せな気分に包まれていた松剣。暫くすると一瞬で現実に引き戻された。手のひらに激痛が・・・
ううっ・・・噛まれて流血。

やっぱり野生なんだな。歯は結構鋭かった。噛んだのはそんなに大きな子じゃ無かったけど。
それでも可愛いうさぎ達にはと〜っても癒やされた松剣と相方。まりもが一緒じゃとても上陸する訳にはいかなかったね・・・
暑くてバテバテ。ご飯を見せても出てこないよ・・・

相方の実家には、お父さんが作った本格的なうさぎ小屋に5〜6羽のうさぎが居たらしく、どんどん赤ちゃんを産んでじゃんじゃん増えていくので、その都度里子に出したと言う。最後に残った灰色のハイちゃんには、松剣も何度か会った事がある。もう30年近くも昔の事だ。

それにしても、多くの犠牲の上に成り立つこの平和な日々・・・今年も八月が巡ってくる。今年はまりもの初盆だ。

0 件のコメント: