10月5日午前7時過ぎ、相方の大親友でこのブログにも『ワンコ大好き◯美さん』のハンドルネームで頻繁にコメントをくれていたM美が天国へと旅立った。大腸がんで闘病中だった。
物心つく前に父親を亡くし、女手一つで育てられたM美。お母さんのM子さんは自身の名を付けたスナックを切り盛りしながらM美と5歳年上のお兄さんを育て上げた。
数年前、会社の経営者でもある お兄さんが介護の仕事にも参入する事になり、M美はお兄さんの意により介護福祉士の資格を得る為、2年間専門学校に通う事になった。
随分年の離れた若者達と机を並べ、遠足などの学校行事にもきちんと参加し、こんなに一生懸命勉強したのは生まれて初めてよと、本当に楽しそうに学校に通い2年後、晴れて介護福祉士の資格を取得したのだった。
専門学校卒業とほぼ同時にお兄さんが経営する介護施設を任される事になり、お店を畳んだM子さんと共に事業を軌道に乗せようと、喧嘩をしながらも懸命に仕事に打ち込んでいたのだ。
そんなM美に病魔は忍び寄る。長く続く血便と異常なだるさ・・・何か変だけど疲れが溜まっているのかな・・・忙しさで病院を訪れる機会を逸していた。
この頃だった。Yに食道がんが見つかったのは・・・まりもとの闘病生活がそろそろ1年になる11月、知らせを聞いたM美は不安になり、ようやく病院に行く決意をしたものの、実際に検査を受けたのは年末近くになってからだった。
そして魔の2014年正月。明けてすぐまりもの悪性リンパ腫が再燃。そしてM美の検査結果は大腸がんで既に肝臓に転移しているという厳しいものだった。なんで・・・まりもとYに続いてM美まで・・・信じられなかった。
肝臓のがんは大小散らばるように数個あり手術は難しく、このままだと余命は2年との宣告だった。しかし抗がん剤で小さくすれば手術が出来るかもしれない。一縷の望みを掛け、辛く苦しい抗がん剤での治療を始めたものの、その辛さは想像を絶するものだったのだ。
女手一つでここまで育ててくれたお母さんより先に逝くわけにはいかない。一人息子Jの結婚も孫の顔も見なければ・・・そして旦那さんであるパパを一人にさせる訳にもいくまい・・・
そんな思いで懸命に抗がん剤の副作用に耐えて頑張っていた6月、まりもが逝った。自分の辛さよりまりもを思い、寂しくなった松剣と相方の事ばかり気に掛けてくれたM美・・・何とか良くなって欲しい。出来る事は何もないけれど、お守りを渡し、ただひたすらに神に祈った。
辛い治療に耐えた甲斐もあり、M美の大腸がんは手術ですっかり綺麗に取り切れた。一時期は人工肛門での生活を余儀なくされもしたが、肝臓にあったがんの半分を取り、肝臓が再生したところで残りのがんも全て取り切った。人工肛門を閉じる手術も終わり、11月には奇跡的に寛解にまで持って行く事が出来たのだった。
自分の病気についてとことん調べ、積極的な治療に臨んだM美。主治医も奇跡だよと驚いていたらしい。
そんな喜びも束の間、今度は食道がんで闘病中だったYが逝った。なるようにしかならないからと、積極的な治療をしてこなかったYを松剣は責めた。しかし抗がん剤治療の苦しみが身に浸みているM美は、これ以上頑張れとは言えなかったと語った。
Yは逝ってしまったけれどM美はきっと良くなる。再発してもそれはまだ随分先の事で、その時はまた手術をして取ってしまえば良いんだ。パパも松剣も相方も、そしてM美自身もそう思っていたのだが・・・
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