その道三の塚が崇福寺からたった5分の所にあると言う(またまたみゃんこさん情報)。
詳しい場所は聞いていなかったが、貸し自転車の所で頂いた観光マップに載っていたのだ。
畳めば手のひらサイズ、広げればA2サイズにもなる優れもの!
これは便利!この地図、後も何かと活躍してくれる。
少し迷ったが、道三塚は閑静な住宅街の角にひっそりと、でも地元住民に大切にされているのがわかるように建っていた。
昭和30年12月に岐阜市の史跡に指定された |
道三の嫡男義龍は、実子ではなかったと言うのが一般的によく知られている。
親子の間で何があったのかは知る由も無いが、弘治二年(1556年)四月、二人の間に長良川の戦いが勃発する。信長は義父を助けるべく出陣するも時既に遅し。道三はこの地で敢え無い最期を遂げた。63歳だった。
道三の遺体は崇福寺の南西に埋葬されたが、川の氾濫で度々流されるのを見兼ねた斎藤家の菩提寺、常在寺の日椿(にっちん)上人の手により、天保八年ここに移設された。
その後も『道三無念の最後』という伝承は住民の間で残り続け、周囲の開発が進む現在に至っても畏敬の念で守られているのだ。
お酒までお供えしてある |
10号を借りたお陰で予定には入れていなかった場所も訪ねる事が出来、感慨に浸りつつ次の目的地、岐阜城を目指す。
鵜飼で知られるこの長良川を渡れば信長の居館跡がある岐阜城公園だ。
金華山の頂上に建つ岐阜城 |
長良橋を渡るとそこが岐阜城公園だ。事前に岐阜城公園ガイドブックも印刷して持っていたのに
早く見たい一心だったからか何故なのか、公園正面に立つ『若き信長像』を見ないで発掘調査案内所を訪ねてしまった事に、ホテルに戻ってから気づいたのだった。あちゃ~・・・
しかしそのお陰で思わぬ出会いがあった。
ここでは発掘調査で出土した土器や、信長が客人をもてなしたと推察される広大な庭園の遺構がパネルと共に展示してある。
食い入る様にパネルを読んでいると、発掘調査の現場に入っていると思われるおじさんが、案内所に置き忘れたヘルメットを取りにやって来て、パネルの説明を始めて下さった。
おじさんはもう7年も発掘調査に携わっておられ、調査の状況や出土した遺構について、それはそれは詳しく教えて下さったのだ。
その内に信長が暮らした数々の城の話や、松剣が安芸の国出身と知るや、毛利家と織田家との関係にまで話が広がり、2人で1時間近くも歴史談義に花を咲かせたのだった。このおじさんも相当な歴史好きで、とても楽しい時間を過ごす事が出来た。
おじさんにお礼と別れを告げた後、いよいよ山頂を目指す。公園内を10号で走り抜け、ロープウェイ乗り場へ到着。
写真撮りたかったな。でも頼むのはさすがに・・・
発車まで10分少々。萌え萌えのお土産コーナーをチェック!
写真撮りたかったな。でも頼むのはさすがに・・・
発車まで10分少々。萌え萌えのお土産コーナーをチェック!
勿論、自分用に萌え萌えのお土産GET!
天下布武Tシャツと、表が優しいガーゼ地、裏がタオル地の手拭いだっ! |
この後ロープウェイでいよいよ天守閣へ!
しつこく続く。
2 件のコメント:
私の20年~前の記憶が蘇るような
とっても新鮮な天下布武レポートです。
私の知らないところもあるし。
貸し自転車のことは知っていたけど、
「松剣さん、方向音痴らしいし・・・」と
紹介するのを遠慮したのですが、
迷子にもならず、よかったよかった。
私も方向音痴でして。
同じところに3度行ってようやく人並みになります。
通訳案内士(英語)のライセンスは取ったものの、
ガイドが方向音痴の体力不足じゃダメなので、
歴史散歩はひとりで楽しんでおります。
みゃんこさん
自転車はかなり役に立ちました。
あっ、でも結構たくさんの方に道を聞いたんですよ。
途中まで連れて行ってくれた方も
居られ、人の温かさを実感しました。
いつもは車ですが、こうして自転車で知らない町を探訪する
虜になりそうです。
道三塚の存在も教えて頂かないと知りませんでした。
急な予定変更を誰に気兼ねする事無く
出来るのは、一人旅の良い所ですね。
でもみゃんこさん、せっかくの資格が
活かせる様に体力UP、頑張って下さい。
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