ここもみゃんこさん情報。このお寺には凄い物がある
あっ、お館様のバスが走っている!慌ててカメラを向けるがちょっと遅かったか!側面にもお館様の絵が描いてあったんだけどなぁ・・・
でも偶然遠くに岐阜城が!ちょっと絵になる?
元へ。門をくぐって中に入ると美しい日本庭園が。小ぢんまりした大きさだが庭木の剪定も美しく、とても綺麗に清掃されている。
友人Fならじっくり見学しそうだな。
そしてもう一つはこのお寺の本堂の中にあるのだ。
先にこちらから。本堂に入って拝観料200円を払うと、ご住職と思しき作務衣の方が展示品を説明する録音を流して下さった。が、説明早すぎっ!まだ見ているのに次々説明が流れる。見兼ねたご住職が今はこれを説明しているよと教えて下さる。写真撮影禁止だからじっくり見させてよ。
説明によると寺宝として大切にされているのは、本能寺の変の数日後に信長の側室だったおなべの方から届いた書状や、信長が出した麒麟の花押(円徳寺にあった黒い方の花押)入りの禁制書、他にも清洲城の鬼瓦や屏風など歴史を感じる物ばかり。
そしていよいよ凄い物の登場。歴史ファン必見!そうじゃ無い人はきっと気味が悪いだけ。こちらの『血天井』。
他は撮影禁止だが、ご住職に許可を頂けたのでパチリ。
フラッシュを焚かないという条件で・・・それがこちら。
武者たちの凄惨な最期を想像する・・・ |
撮影を許可して下さったお礼を述べると、ここから一旦外へ出て右手の潜り戸を開けてもらうと廟所への標識が出ていますからと説明して下さったので、早速ご位牌が安置されている所へ向かう。
小さく(有料)って・・・拝観料の事ですね。 |
ワクワクするな。もう一個戸がある。
あれをくぐるとといよいよだな。
ようやく辿り着いた!
信長と長男信忠の石碑。それぞれの法名が左右に刻まれている。
結局本能寺の変後、謀叛を起こした光秀は家臣に命じ信長の首を探させた。しかしいくら探しても信長の首はおろか、遺体の一部さえ発見されなかった。信長には確かにここに遺骨があるという『お墓』が無いだけに、この廟はとても意味深い気がした。
岐阜の街は見所満載。この後松剣、岐阜城公園へと向かう。その前に岐阜城とも信長とも深く関わったある人物ゆかりの場所にご案内するとしよう。
2 件のコメント:
血天井、撮影できたんですね。
良かったですね。
歴史が「年表」や「書かれたもの」から、
一気に、生々しい事実として襲い掛かってくるような気がします。
生きていたんだな、って。
みゃんこさん
見たお寺の殆どはもともとそこにあったわけではなく、
火事で消失した後再建とか、区画整備で移築されたものですから
崇福寺の天井は本当に生々しく、実は撮影するのも何か災いが
起こりはしないかと少し怖かったのです。
でも行った甲斐がありました。
感謝、感謝です!
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