2024年1月14日日曜日

ロマン溢れる城めぐり

夕べはこれのお陰か、意外とよく眠れた気がする。寝るときはいつもスエットで寝ているが、たった一泊二日でそんな荷物を増やしたくないので、ホテルのバスローブみたいなの着て寝るか٠٠٠でもあれは起きると前がはだけたりなんかして寝心地悪いんだよね、とか思っていたのでこれはとてもありがたかった。





ゆったりサイズで肌触りも良く快適だったが、いつものように腹がペコペコで目が覚めた。


朝食は6:30から。さっさと準備をして朝食会場へ向かう。




ホテルに隣接された和食の店なので、生け簀がある。なんかすごいな。




















料理はパン、ご飯におかずは和洋中と豊富。さすが、お造りまであるよ。




先ずはパンから。玉子はだし巻きとスクランブルエッグ二種類食べ比べ。両方うまい。





アイスカフェラテ、シロップ入っとらんかった。次はアイスカフェオレにちゃんとシロップ入れてパンの第二弾。クロワッサンとスクランブルエッグもう一回。カフェオレにはちゃんとシロップ入れて。





お造り食べたいのでご飯も食べます。名物、ママカリ漬けも一口サイズなのがいいね~。





充実のデザートコーナーも勿論あります。





















ここからチョイスの締めデザート。コーンフレークミルク掛けにヨーグルトにはいちごシロップ。フルーツとプリンもいただきます。




うわっ、プリンうまっ!昔ながらの硬い系。こんだけ食べれば昼まで持つでしょ。


今日は近いのに行ったことない岡山城へ行き、瀬戸内市に住む友人と昼食を共にするスケジュール。


ここからしばらく歴史を語ります。興味ない方はここからスルーで宜しいかと。


岡山駅から路面電車で約5分。電停で降りて整備された公園を抜けると遠くに天守閣が見えてくる。





この旭川を自然の堀として利用したのだろう。そんなに大きな城ではなさそう。


と思ったが、近づいて行くと、何か思ったより凄い。


昭和40年代に再建された建物だけに、歴史的価値はあまり高くはなさそうだが、青い空に黒の天守閣が何とも美しい。金烏城の別名も納得だ。




天守閣を目指して1つ目の門をくぐる。







城主専用の廊下で、この上から敵を迎え撃つ役割を果たしたそうだ。


ここから更に天守閣を目指して進んで行くと、2つ目の大きな門に出くわす。大手門か?と思いきや、不明門(あかずのもん)という、普段は使用しなかった門だった。





特別な人しか通れなかったということみたい。




そうしてやっと辿り着いた天守閣。



おおっっ!ここから見上げると圧倒されますな。早速潜入します。


入城料400円を払った階が地下一階になる。岡山城の全体模型や絵巻の展示コーナー。





一つ上の1階は体験コーナー。火縄銃や日本刀などの実際の重さを知る事が出来る。火縄銃は想像よりかなり重い。照準を合わせたまま引き金を引くまでの僅かな時間でもズレないようにキープするのは辛い感じ。






















2階に行くと江戸時代、池田氏になってからの時代を説明するコーナー。




再現された城主の間。見どころの一つなんだそう。


そして3階は、岡山城の成り立ちを語る上で、絶対に避けては通れない、関ヶ原の合戦を詳しく説明するコーナー。


岡山城にゆかりの深い宇喜多氏、小早川氏、池田氏について深堀りしている。








秀吉の奥方、高台院(おね)の甥で、後に小早川家の養子となる秀秋の裏切りにより、毛利輝元を総大将とする西軍が負けてしまうが、徳川家康率いる東軍が勝った事により、その恩賞として岡山城主となる。





しかしこの秀秋、城主となって僅か2年後、21歳の若さでこの世を去る。


思いもよらぬ裏切りにより討死した大谷吉継の亡霊が夜毎夢枕に立ち、気を病んで亡くなったと言われている。


宇喜多秀家は西軍が負けた事で岡山城主の座を失い、八丈島へ島流しとなり、彼の地で84年の生涯を終えた。





慶長8年以降は姫路城主だった池田輝政の次男、忠継が城主となり、明治まで池田氏の時代が続いた。


今回はごめんなさい、大した城じゃないと思っていたのよ、岡山城。でもなかなかどうして、凄いじゃないの。


城めぐりはロマンだな。仕事を引退したら全国の城をめぐるのが松剣の夢。今回も良い旅、いや仕事でした!次はどこに行けるかな。





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