2016年7月5日火曜日

ペー君との絆

出逢いはある日突然だったペー君。我が家に来るまで何と呼ばれ、どこでどんな生活をしていたのか全くわからない、謎だらけの子。





結構長い間『ちょっと預かっている子』と言う感じが抜けず、それはペー君にもきっと伝わっていて、ペー君にも遠慮があったのだと思う。



ジュニアと一緒に日々の生活を重ね、年に一度の旅行に出掛けたりする内に、根雪が融けるようにゆっくりだけど確実にペー君との絆が深まってはいたが、やっぱり子犬の頃から育てたジュニアとは何かが違うとも感じていた。







ペー君から遠慮の気持ちが全く消えたのは、天国に旅立つほんの2年程前だろうか。頑固でちょっぴり神経質で喧嘩っ早くて絵に描いたような『ザ・柴犬』だったのだが、前庭疾患と言う高齢犬が罹患しやすい病気を発症した時からだ。






きっと自分の弱さを受け入れ、全てを委ねる決意をしたのだと思う。








まりもとジュニアはリード無しで散歩出来て、人が居なければ公園で離してやっても『来い』と言えばすぐに戻って来る子だったが、ペー君はリード無しで歩くなど絶対に無理。脱走すればとんでもない事になるのがオチだったが、精悍さはすっかり無くなりリード無しでも散歩出来る程温厚なワン子に変身したのだ。



この『前庭疾患』ペー君の場合はステロイドの大量投与から徐々に減らしていく『ステロイドパルス療法』がよく効き、少し斜頸は残ったものの病気はすっかり完治した。だが1年半後、今度は心臓疾患で生死をさまよう事になる。




後ろ足の付け根の太い血管に血栓が詰まる事で血が通わなくなり、足は冷たくなっていた。心電図は心不全の症状と説明された。




当時H動物病院で副院長をされていたK先生の懸命の治療のお陰で何とか命は取り留めたものの、よく持って1ヶ月程度と言う厳しい診断だった。





もう覚悟しなくっちゃ・・・そう思うと同時に何でもっと早く本当の家族にならなかったんだろう・・・悔しくて悔しくて、ペー君に申し訳なくて涙が止まらなかった。



何とか最期は自宅で看取ってやりたい・・・退院させ、自宅での介護が始まったのは平成14年2月だった。








冷たくなった右足は曲げるのが難しい様で、相方と交代で暇さえあればペー君の足をさすって温めてやった。



漢方の伝七人参が心臓に良いと聞けば飲ませ、血液サラサラ作戦でひきわり納豆も毎日1パック食べさせた。



すると・・・食いしん坊なのが功を奏し、ペー君はみるみる回復しK先生もビックリ!







しかし3週間後、また同じ症状で病院に担ぎ込む事になり、今度ばかりは本当に厳しいと言われたが、相方と相談し入院はさせず点滴に通う事にした。









しかしペー君、またまた頑張った。驚異のV字復活!







せっかく頑張ってくれたけど、桜は無理かもしれないね・・・そんな話をしていたが、3月の終わり頃になるとピクニックに行ける程に!







太い血管に代わって近くの毛細血管がその役割をする様になったらしく、冷たかった足も温かくなり、フラフラしてはいるが歩けるまでに回復したのだ。









相方の事が大好きだったペー君。抱っこされると本当に嬉しそうで無防備にデレ〜としていたっけ・・・



そしてこの年の桜前線は少し早いと言う予測だった。



最期のお花見が出来るかもしれない・・・何とかペー君と桜が見たい・・・きっとペー君もそう思って頑張ってくれたんだね。







お花見が出来たからペー君とGWも楽しく過ごしたい・・・気持ちの良い気候にピクニックに行けたらな・・・ペー君ならまた頑張ってくれるかも。



やっぱりペー君も同じ気持ちでいてくれたのかな。K先生の診立てを大きく外しGWも沢山お出掛けできたんだったね。








口移しで食べる事などあり得なかったペー君が自ら口移しで食べ物をせがむ程にもなったけど、目が殆ど見えていなくて唇まで一緒に噛まれるのがちょっぴり恐怖だったっけ。



梅雨に入った頃から徐々に具合が安定しなくなり、あれだけ食いしん坊だったのに食べたり食べなかったりする様になったペー君。美味しそうに食べたのはこのチーズケーキが最後だったかな・・・







懐かしいペー君。今日7月5日でペー君が旅立ってから14年だ。


天国で沢山お食べ。大好物のチーズとチーズケーキを買って来たよ。お魚もおまけに。







奇しくも病気がペー君との絆を深める事になったけど、それはそれで良かったと今なら思うのだ。





ペー君、家族になってくれてありがとう!







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