背格好や性格もそっくりな上に誕生日まで・・・何か因果関係ありそうだ。やっぱり前世でも深い絆で結ばれている関係だったに違いないと思うのだ。
去年の誕生日にはパパがとっても美味しそうなチョコレートケーキを買って来てくれたと、相方のラインに写真付きで送ってくれたっけ・・・
まともにロウソクを立てればケーキ崩れるよね〜と相方と笑ったのに、あれが最後の誕生日になるなんて思いもしなかった。
M美にしてもYにしても、若くして逝ってしまった人は残された人の間では永遠に若いまま。しかしその人の誕生日に思い出す事で一緒に歳を重ねる事が出来るのだと何かに書いてあった。
M美は相方の半分の日に、そしてYは松剣と同じ日にそれぞれを思えば一緒に一つ歳を重ねられるのだ。
今日相方がパパにM美の誕生日だね、とメールを入れたそうだ。生きて祝ってやりたかったし、まだまだ立ち直れていないんだと返信があったと言う。
そりゃ無理だよ・・・でも1日も早く元気を取り戻して欲しい。
そしてM美の初めての月命日だった11月5日、松剣の父方の祖母がこの世を去った。90歳の大往生だった。
6月に卒寿のお祝いをし、7月には一番下の弟の余命が短いとの連絡を受け、松剣の両親と叔母の4人で佐世保まで車で出掛けるなど、とっても元気だった。頭もシャッキとしていたし、杖もつかず一人で歩いていたのに、亡くなる前日に危篤と知らされた時は正に青天の霹靂だった。
両脇腹の痛みを訴えていたのを気にした叔母が掛かりつけの医者に診せたところ肺炎を起こしており、即入院となったのが11月2日の事で、それからたった3日で呆気なく旅立ってしまった。
祖母には長男と次男が松剣の父で、それに長女の三人の子がいた。父と長女の間にもうひとり女の子がいたそうだが生まれて間もなく亡くなり、長男の伯父も十数年前58歳の若さでこの世を去っている。
祖母は父より伯父と叔母の方が可愛かったらしく、先に亡くなった祖父は生前そんな祖母の愚痴を松剣の母に幾度となくこぼしていたと聞く。
当然父と祖母の関係が良好な訳は無く、父は自分の実家に自ら寄り付く事は一切無かった。自分は要らない子なんだといつも言っていたと母から聞いた。父が祖母と会話を交わしている場面も殆ど見た事がないし、祖母が父の名を呼ぶ声の記憶さえ無い。
しかし孫である松剣と妹の事はとても可愛がってくれたし、ひ孫である松剣の姪っ子が七五三で帰省すると知るや、会うのを心待ちにしていた。まだ少し意識がある内に会う事が出来て最高の笑顔を見せて旅立ったという。
我が子を二人も見送ったのは最大の悲しみだっただろう。戦後の貧しい時代に炭鉱の町を転々とし、生活も楽ではなかったと叔母から聞いた。苦労も多かっただろうが、自分の感情をあまり表に出す事は無かった祖母。どんな人生だったと感じていたのだろうか。
苦労もあったじゃろうが、えー事もあったじゃろうけー。人生なんてそんなもんよ・・・そんなもんですよ・・・自分に言い聞かせる様に父は言った。
父程では無いが母との確執を完結出来ていない松剣。本当のところ、父はどんな思いで祖母を見送ったのだろうか。いつか聞いてみたい。
それにしても、人生の長さって誰がどうやって決めているんだろうか。M美もYの人生も、松剣の祖母のほぼ半分の長さだった。
自分の人生は一体あと何年残されているのだろうか。知りたい様な・・・でも知らないからこそ精一杯生きようと思えるんだろうな。
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