3年前の12月1日は土曜日だった。まりもが悪性リンパ腫と診断された日・・・
触診をしたK先生の顔がみるみる曇り、ヤバいじゃん・・・と呟いた瞬間、心臓がギュッとなったあの日。痴呆で何もわからなくなってしまわない限り、一生忘れる事はないだろう。
まりもとの残された時間を大切に過ごそう。思い出も沢山作らなきゃ・・・でも思い出って何気なく振り返った時に自然に出来ているものなんじゃないのかな。あえて作ろうとする思い出って何だか辛いなとも思った。
でもやっぱりこうして何気ない日常の一コマも写真に撮って残しておいて良かったなと思う。
ストーブの前でお決まりのポーズのまりも。
こたつでのびのび、あんよを伸ばした格好も・・・もう二度と生で見る事は出来ないけれど、こうして写真で見るとハッキリ思い出せる。
暖かい冬の日、公園でお弁当を食べた事・・・
これらの写真は全て病気と診断されて1ヶ月以内に撮影したものだ。写真はこの後、まりもが旅立つまでの1年半で5,000枚以上撮影している。
変顔も・・・
ちょっとピンボケも・・・
貴重な一枚。いっぱい撮って良かったな。デジカメがある時代で良かったな。
お出掛けも沢山したし、数え切れないくらい名前も呼んだ。かわいいね、大好きだよと、うんざりされるくらいチューもしたけれど、もっともっと一緒に居たかった。
神様はどうしてまりもをこんな病気で奪ったのかな・・・何を学ばせようとしたのだろうか。まりもが悪性リンパ腫と診断された日から3年。闘病生活を送った1年半と同じだけ月日が過ぎた事になるが、いくら考えても答えは見つからない。
相方はこんな考えをとっても嫌うのだが、もしかすると、来世の課題として持ち越されるのかもしれない。
2 件のコメント:
松剣さん、お久しぶりです。
なぜ悪性リンパ腫になったのか、何を教えようとしたのか、
私もいつも考えています。
犬たちが、私たち人間に教えたいことは、
天が、私たち人間に教えたいこと、なのかな、と思います。
私が今、そんな病気になったら、どうする?
その時になったら、ジタバタ治療したいのか、
治療だけに明け暮れる生活をするのか、と考えたりもします。
先のことを考えても仕方ないので、
今、どうしたいのか、どんな部屋で暮らしたいのか、
私が犬だったら、どうしたいのか、などと
ジェリーを失ってから、考えるようになりました。
究極のシンプルライフが幸せなのかもしれない、と。
アホな私には、そのくらいしかわかりません。
しかし、実現には遠い道のりです。
みゃんこさん
ご無沙汰しております。
我が人生に起こる事に何一つ無駄は無いと
何かで読みました。
覚えていないだけで、実は自らが選んだ
親の元に生まれその人生で何を学ぶか神様と
相談して人生の計画を立てるらしいですが
一体何を学ぼうと計画したのか、生涯を
終えるまでに見つけられるのでしょうか。
みゃんこさんのお家、素敵な庭になりましたね。
ジェリーちゃんが居たらコーギー特有のガッシリした
手であちこち掘り掘りしそうだな、と。
年末までに我が家も綺麗にしなくては。
花壇がえらい事になっておりまして・・・
周りはまだ早いと笑いますが、終活についても
そろそろ考えないといけないなと思う今日この頃です。
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