2025年10月25日土曜日

気分はアロハ〜

 有楽町で任務を終えた松剣。妹の家に行くため銀座駅を目指す。歩いて7分くらい。Googleマップを見ても簡単そう。これなら大丈夫。


しかし外へ出ると雨が。まぁ小雨だし大丈夫じゃろ。雨の中銀座駅を目指すが案の定、方向音痴の松剣、やっぱり迷ってしまった。銀座駅だからと大きな駅を想像したのもいけなかった。地下道へ降りるかのような狭い階段の下にあるんだもの。しかもストリートビューは昼間の画像。すっかり夜の帳が下りた街並みとは全然違う。結局20分ほどウロウロしてようやく銀座駅に到着。


ここから丸ノ内線で20分、今度は中野坂上駅を目指すがどこもかしこも凄い人。満員電車に揺られ、すんなり着きはしたが今度は出口を間違え大きな道路の交差点の向こう側に出てしまった。なかなかすんなりいきませんな。


それでも何とか地図を見ながら妹宅に到着。姪っ子から塾の話や学校での様子を聞きながら妹の帰りを待つ。


30分ほどして仕事から戻った妹が、広島にはないハワアンなファミレスで晩ご飯を食べようと提案してくれた。車で40分くらいかかりそうだけどいい?勿論、問題なし!


金曜の夜、首都高速は混んでいて、少し時間は掛かったが目的のお店に到着。















うわ~ハワイっぽい!ワクワクするね!





店内に入るドアを開けるとココナッツの様な香りがフワッと漂う。













BGMもハワイアンでお店の中も当然ハワイアン。電気の傘はパイナップル。と、ここでこんなの発見。




こりゃ注文しなければなりません!小さいし何個でもいけそうじゃん。



案内された席に着くと店員さんが、アロハ〜ようこそ!とやって来て注文はタブレットでなどひと通り説明してくれた。


メニューを開くとまたまたハワイアン。





もうね、ワクワクが止まらんのよ。全部食べたいって感じ。





リベンジ作戦大成功!

ちょうど1年前、連合の出張で東京に来た時、昼ご飯を食べようと決めていた『キッチン大正軒』。新幹線の遅延で店に着いた時は行列が出来ていて、結局食べることが出来なかった、と言う事件(松剣にとっては)があった。(占いでは一位だったけど


いつかリベンジしてやると虎視眈々とその機会を伺っていたら、3ヶ月ほど前に東京行きが決まった。しかも会場も同じ場所。


よっしゃ〜!リベンジじゃ!店の開店と同時に入る作戦で計画を実行。


今回は列車の遅延等も無く、時間通り10時半に東京駅に到着。ここから山手線で一駅の有楽町へ。しかしいつ来ても東京人が多いわ。


迷わず目的地に到着。お店が入っているビルは、1965年に開業した、螺旋階段やモザイク壁画など、外観からは想像できない昭和レトロな今年還暦を迎える建物。



地下1階から地上3階までは商業施設で、多彩な飲食店が軒を連ねる。




中のお店もなかなか年季が入った感じの店が多く、目指す大正軒はその地下1階、『横っちょ横丁』にある。




昨年の記憶が正しければ、この奥の右側にあるはず。




あったよ!お店は開店前で、松剣一番乗り。ここは昭和っぽく現金のみの前払い。お店に入る前にメニューを決めてお金を払っておくシステムだが、こうメニューが豊富だとかなり悩ましい。




新幹線の中で、ネットに投稿された料理の写真やコメントを見てずっと迷い続けていたが、よし、決めた!メニューを伝えてお金を払い、案内された席に座ると店内もザ昭和。




席に着き注文した物を待っていると、10分もしない内に運ばれて来た。口コミに、料理が来るのが早いと書いてあった通りじゃん。




豚の生姜焼き+ヒレカツ。デミグラスの煮込みハンバーグも捨て難かったけど、生姜焼き推しの口コミ通り大き目の肉は柔らかく、見た目とは裏腹に味もしっかり付いている。これまでの人生で食べた生姜焼きの中で1番と書いていた人の気持ち、よく分かるわ。


サクッと揚がったヒレカツの肉も柔らかジューシー。目の前に並んでいたソースとウスターソースもちょっと足してみたのも良かった。この辺りのソースは甘味が少なくて揚げ物によく合うね。


肉屋の直営店らしいから、この肉のクオリティはさすが。値段もこれで1,200円って安い!一年越しのリベンジ大成功じゃ!



時間はまだ11時過ぎ。ちょっとブラブラしてみよう。

◯◯スカイビルとかハイカラな名前のビルでもないし、お店も今時のようではないけど、そこかしこの店で行列が出来ていた。きっとみんな昭和が懐かしいのだろう。若い人よりおっさんが圧倒的に多い。


飲食店以外に日本各地の特産品を扱うアンテナショップも多くあり、地方の特産品を購入できる。





牛タン宮城にみかんの和歌山、お魚富山に桜えびの静岡。




他にも博多や平戸の店など色々あって楽しいけど、買わずに出るのは悪いな。サラッと見るだけにしとこ。


そろそろ会場に行って待つとするか。13時〜17時半までの任務があるが、きっと睡魔との戦い。それを終えれば妹の家に泊めてもらうため電車で中野区の家まで行く事になっている。迷わず行けるのかしら?



2025年10月12日日曜日

頑張って欲しいけど···

風邪で寝込む事もないほど健康だった父が、体調が良くないと自ら医者へ行ったのは盆を過ぎた頃だった。


排尿ができず、お腹が苦しいと受診した泌尿器科で、その原因が精巣の腫れと前立腺肥大によるものとわかり、詳しい検査の結果どうやら精巣癌らしい事が判明した。


9月18日に左の精巣摘出手術を受けると同時に前立腺の組織も採って検査したところ、前立腺は癌ではないこと、摘出した精巣もそこまで質の悪い物では無さそうな事がわかり、ホッとしたのも束の間、転移が無いか受けたCT検査で胃癌が発覚したのだった。


初期ではなく進行した癌だが、手の施しようがないというレベルではなく、手術で胃の3分の2くらい切れば、何とかなりそうと医者は言うが、その為には先ず禁煙が絶対らしいのだ。




煙草を吸っていると、手術後に合併症になるリスクが非常に高く、とりわけ肺炎は大敵なんだそう。傷の治りも遅く、癌の進行も早くなり、何も良いことはないと、先生はキッパリ仰った。


今回は内科と外科を受診したが、どちらの先生も、喫煙者に精巣摘出手術をした泌尿器科は何を考えているのか信じられないし、胃に癌があることを知りながら、退院後も禁煙を強く命じなかった事に呆れておられた。


本来なら禁煙出来ている状態を想定し、11月には手術が出来るはずだったのに、禁煙をしていなかったことで手術は12月初め頃の予定となってしまった。



しかし父も母も、頑張って禁煙して胃を3分の2取って2〜3年寿命が延びた所でどうなんだろう?それより好きな煙草を吸って来年死んでも、それはそれで本望だと言う。


趣味もなく、学生時代に仲の良かった友達も特に居らず、何が楽しみで生きているのだろうといつも不思議に思っているという母。


なので両親の言うことも一理あるが、松剣としては完治の可能性があるなら頑張ってもらいたいのが正直なところ。


すると父は、今日から禁煙しますと言った。まだ生きようという気はあるらしい。


中学受験に向けて頑張っている、父にとってたったひとりの孫娘が、じいじが大変と知り大泣きしたと妹から聞いた。


来年の2月には受験が終わるから、良い知らせを持って春休みに帰省できるように頑張ると誓ってくれた姪っ子。


そして、癌になった本人や家族をサポートして下さる看護師さんも専任で就いて下さる事になっている。




緩和ケアって、末期癌の患者さんが人生の最期を出来るだけ穏やかに過ごす為の医療と思っていたが、今は癌と診断された時から始まり、患者本人だけではなく、家族の不安や恐怖を和らげるように相談に乗ってもらうなど、精神的なフォローなども引っくるめてのことをいうのだそう。


看護師さんから家族構成や好きな食べ物など色々と質問されたが、ほぼ全てにおいて特に無しと答えた父。


多分そうだろうなと思いつつも、やっぱり何かに希望を持って病気に立ち向かって欲しいと思う松剣。


幸い広島は、地方都市の中でも結構緩和ケアが充実している地域で、在宅医療などの相談にも積極的に応じてくれると言うので心強い。


こうした体制も整っているし、勿論家族も全面的に協力するつもりだが、本人に頑張って治そうという気がないと、どうしようもない。


この日は帰りに昼ごはんを食べて帰った。















父が注文したチキンライスと松剣が注文したBランチ。日頃から無口な父だが余程ショックだったのだろう、しょんぼりして更に無口で、チキンライスも3分の1くらいしか食べられなかった。


可哀想だが代わってあげる訳にもいかない。何とか癌に立ち向かい、完治を目指して頑張って欲しい。