悲しい気持ちに区切りをつける日。「哭」は泣き叫ぶ事、「卒」はやめる、お終いにする事で
泣き暮らす生活に心のふんぎりをつけ、新たな生活のスタートをきって苦しみから抜け出すという事だ。
とは言え、今でもまりもとの楽しかった日々を思い出せば鼻の奥がツンとなる。まりもの笑顔を見て元気を出そうとはするが・・・
まりもがリンパ腫と診断された時、まりもと一日でも長く一緒に居たい、残された日々を一日たりとも無駄に過ごしたくない・・・必死の闘病生活の1年半は、随分長く感じたし、終わって見ればあっという間だった気もするが、まりもとの絆を更に強く結んでくれた様に思う。
それが正しかったのか、効果があったのかは検証出来ないけれど、治療に関しても出来る限り精一杯の事はしたと思うので後悔は無い。でもやっぱり8年は短かいよ・・・
会えて本当に幸せだったけど、もっともっと一緒に居たかったね、まりも。もっともっと一緒にご飯を食べたかったね、まりも。
まりもと一緒なら何でも美味しかったね。いつも松剣や相方の食べている物を一緒に食べたがったまりも。
まりもと一緒ならどこでも楽しかった。たとえそこが寂れた公園だったとしても、手作り感満載の笑える施設だったとしても・・・
昨日とっても嬉しい事があった。会社から帰ると、以前K先生の元で動物看護士をされていたM子さんから手紙が届いていたのだ。
まりもが旅立ったあと、K先生やお世話になったスタッフの皆さんに、まりもからと言う事で心ばかりの品を準備して挨拶に行ったのだが、M子さんにもいつか機会があれば渡して欲しいと、受付のYさんに預けていたのを受け取ったというお礼の手紙だった。
いつもまりもの事を『まりちゃん』と言って可愛がって下さり、退職されてからもブログを見つけて読んで下さっていたM子さん。松剣も相方も本当に嬉しかった。まりもはいなくなってしまったけれど、こうして人の心の中ではまだ生きているんだ、と。
肉体の死は本当の死では無く、亡くなった人を偲ぶ人がひとりも居なくなった時が本当の死であるというが、全くその通りだと思った。
時折ふっと思い出してくれる人が松剣や相方以外にもたくさん居るよ、まりも。大好きなまりも、可愛いまりも・・・今日で泣くのはお終い。でもなぁ〜、やっぱりまだ涙が出るよ。