まりもが居た頃は、休日の計画を立てるのが松剣と相方の楽しみだった。まりもの体調を考慮しながら比較的近場で楽しめる場所を探した。ここ良いじゃん、と思っても遠かったり、ワン子NGで諦めた場所も随分あったのだ。
そんな場所の一つに周囲4km程の小さな島がある。穏やかな瀬戸内の海に浮かぶ『うさぎの楽園』。気晴らしになればと相方と出掛ける事にした。
自宅から車で1時間ちょっと走った港からフェリーが出ている。沖合い3kmに位置する目的の島までは10数分。船内は家族連れの海水浴客やうさぎ目当ての観光客らで賑わっていた。
まりもが一緒ならもっとワクワクして楽しかっただろうね・・・そんな事を話しながら島へ到着。小ぢんまりした港だな・・・
この島に定住者は居ないが国民休暇村があり、港から無料のシャトルバスが出ている。
島の風景は、30年程前に流行した永井博画伯の絵の様だ。天気が良ければもっと綺麗だっただろうな。
ネットで見た通り、島の至る所に沢山のうさぎが!!こんなに沢山居るなんて!
今はうさぎの楽園として観光客で賑わうこの島は、かつて数戸の農家が耕作を続ける穏やかな島だった。しかし、太平洋戦争が始まる14年前の昭和2年、ジュネーブ条約によって禁止されていた毒ガス製造を目的として軍の管理下となったのだ。
国際的に禁止された兵器を製造していた為、戦時中この島は周辺の島々もろとも地図から末梢され、海岸線を走る列車の窓は鎧戸が下ろされていたそうだ。負の遺産を今に伝える毒ガス資料館。
戦後、GHQにより島にあった施設は解体され、毒ガスは海洋投棄や焼却などで処理されたが、軍の関係者や働いていた人達には箝口令が敷かれていたので、その存在は昭和59年まで殆ど知られていなかったという。
そんな悲しい歴史がある島内に、何故にこんなに沢山のうさぎが?毒ガスと何か関係があるのか?と思いきや、諸説あるが、地元の小学校で飼育されていた8羽のうさぎが放されて野生化した、と言うのが最も有力な説なのだそう。現在約700羽が生息している。
人間の食べ物はやってはいけないが、うさぎにご飯をやる事ができる。国民休暇村のロビーでワンカップ100円で販売している、うさぎのご飯を早速一つ購入。ラビットフード。人参やキャベツ持参で来ている人も居た。
ご飯をガサゴソしていると、あっという間にうさぎに取り囲まれてしまう。ここのうさぎは『アナウサギ』という種類。穴掘りはお任せあれ!
資料館を見学し、うさぎ達と戯れた後は少し早目の昼食。松剣は刺身定食、相方は鯛の釜めしと骨蒸し定食に。一品料理のタコの香り揚げも注文。何と釜飯セットには頼んでも居ないタコ飯が・・・釜めしにタコ飯は付かんじゃろ!タコ飯はお返しして・・・んな訳ナイナイ!松剣有難く頂いちゃいました。
とってもお得な気分でもう一度うさぎのご飯を購入し、島内を散策。海岸沿いに変なオブジェ発見。うさぎの耳じゃん!ヘッドホンが付いていて周囲の音が大きく聞こえるそうなのだが・・・
暑いので散策は早々に終了。あずま屋の日陰で再びうさぎと戯れる。
よっ、松剣人気者っ!
何だかまりもにおねだりされている様な錯覚に陥り、幸せな気分に包まれていた松剣。暫くすると一瞬で現実に引き戻された。手のひらに激痛が・・・ううっ・・・噛まれて流血。
やっぱり野生なんだな。歯は結構鋭かった。噛んだのはそんなに大きな子じゃ無かったけど。
それでも可愛いうさぎ達にはと〜っても癒やされた松剣と相方。まりもが一緒じゃとても上陸する訳にはいかなかったね・・・暑くてバテバテ。ご飯を見せても出てこないよ・・・
相方の実家には、お父さんが作った本格的なうさぎ小屋に5〜6羽のうさぎが居たらしく、どんどん赤ちゃんを産んでじゃんじゃん増えていくので、その都度里子に出したと言う。最後に残った灰色のハイちゃんには、松剣も何度か会った事がある。もう30年近くも昔の事だ。
それにしても、多くの犠牲の上に成り立つこの平和な日々・・・今年も八月が巡ってくる。今年はまりもの初盆だ。
2014年7月27日日曜日
2014年7月26日土曜日
何年ぶりかな・・・
毎年まりもを連れて松剣の実家に避難していた花火大会。今年は相方と久々に出掛ける事にした。本当に何年ぶりだろうか。
花火が上がるのは20:00からだが、16:00頃自宅に居るとまりもの大嫌いなお祭りのパンパンが港から聞こえて来た。一瞬まりもが怖がる!と、ドキッとしたけれど・・・
よ〜し今日はブログ用に綺麗な花火の写真を沢山撮るぞ!と気合を入れて出掛けたが、デジカメはシャッターを押してから随分と間が空いて映像が写る。なかなかタイミングが合わない。なんだ、なんだ?未確認飛行物体かっ!?
今度こそ!おおっ!これは時空に出来た異空間への入り口?
いや〜結構難しい・・・少しはタイミングが合って来たかな。
でもブレブレ・・・色は綺麗なんだけどなぁ・・・
今度はどうだっ!?ちょっとアップにし過ぎたか。
夜空に浮かぶ大輪の花火!これはいけるじゃん!
思わず玉屋〜、鍵屋〜!と叫びたくなるこの一枚?
そろそろフィナーレとか言っている。いいのをもう少し・・・
あぁせっかくシャッターを切るタイミングが掴めて来たのだが・・・
ちょっとぶれているけれど、最初よりマシになったぞ!
やっぱりフィナーレは凄いや。
応募した、あるイベントのお陰で特等席で見る事が出来た久々の花火。相方もとても喜んでくれたし、夕立の心配も無く適度に風もあり絶好の天候だった。
最近元気が無い松剣を心配して天国のまりもがお膳立てしてくれたんだな・・・花火は大嫌いだったのにね。ありがとう、まりも。また少し元気になれた気がするよ。
花火が上がるのは20:00からだが、16:00頃自宅に居るとまりもの大嫌いなお祭りのパンパンが港から聞こえて来た。一瞬まりもが怖がる!と、ドキッとしたけれど・・・
よ〜し今日はブログ用に綺麗な花火の写真を沢山撮るぞ!と気合を入れて出掛けたが、デジカメはシャッターを押してから随分と間が空いて映像が写る。なかなかタイミングが合わない。なんだ、なんだ?未確認飛行物体かっ!?
今度こそ!おおっ!これは時空に出来た異空間への入り口?
いや〜結構難しい・・・少しはタイミングが合って来たかな。
でもブレブレ・・・色は綺麗なんだけどなぁ・・・
今度はどうだっ!?ちょっとアップにし過ぎたか。
夜空に浮かぶ大輪の花火!これはいけるじゃん!
思わず玉屋〜、鍵屋〜!と叫びたくなるこの一枚?
そろそろフィナーレとか言っている。いいのをもう少し・・・
あぁせっかくシャッターを切るタイミングが掴めて来たのだが・・・
ちょっとぶれているけれど、最初よりマシになったぞ!
やっぱりフィナーレは凄いや。
応募した、あるイベントのお陰で特等席で見る事が出来た久々の花火。相方もとても喜んでくれたし、夕立の心配も無く適度に風もあり絶好の天候だった。
最近元気が無い松剣を心配して天国のまりもがお膳立てしてくれたんだな・・・花火は大嫌いだったのにね。ありがとう、まりも。また少し元気になれた気がするよ。
2014年7月13日日曜日
美味しく食べようよ!
まりもが居ない生活も4週間目に入ったが、一緒に過ごした時の習慣を、今だに身体の隅々が覚えている。
買い物をしていても、これなら食べてくれそうだなとふと思ったり、試食のソーセージやハムを口の中に入れて、車で待っているまりもへのお土産にしようとしたり・・・
寝返りを打つ時は蹴飛ばさないようゆっくり身体を動かしてしまうし、テレビを見ていても無意識にまりもを探している。外出していてもご飯を作ってやらないと、と早く帰ろうと思ったり、食事中もまりもが好きだったおかずを無意識に一口だけ残していたりもする。
そしてその都度現実を思い出し、落胆する事を繰り返している。
あんなに頑張っていた剣道の稽古に行く気にもなれないし、何を食べても美味しいと思えない。こんなんじゃダメだ。あんずの為にもしっかりしないと!せめて食べる事だけでも楽しもう。まりもが美味しそうに食べていた表情を見れば美味しく食べられるかな。
アハハ、何だか寄り目の写真が多いね!まりもと一緒なら何でも美味しかったな〜。
いつでも楽しかったよ。日に日に寂しさは増して来るけど、これからも、ずっとずっと一緒。
何をしていてもきっと側に居てくれる。見えないけれど、きっと居るね。
ネットでペットロスのページを見ていて、こんな記事を見つけた。
ペットの葬儀屋さんが『薄れいく悲しみの中で感じる罪悪感』と題しブログで公開していた。
納骨堂に参拝に来られた人を見かけたとき、必ず挨拶をして「その後、どのようにされているんですか?」と声を掛けるそうだ。
愛するペットとの別れに打ちひしがれていた飼い主さんも時の経過の中で、少しは元気を取り戻されていて「少しは元気になりました」と笑顔でこたえてくれるらしい。
そんな言葉や笑顔を見届けたとき「そうですか、それは何よりです」と、同じく笑顔で言葉を返すそうなのだが、稀にそんな言葉に思わず表情を曇らす人がいると言う。ペットの遺骨を悲しげに見ながら「それって良いことなんですかね?」と独り言のように問いかけるそうだ。
そのような人は「悲しみから癒えていく=亡くなったペットへの想いが薄れていく」事だと思っていて、あれほど愛したペットへの想いが、日々の生活の中で薄れていってしまっていることへの罪悪感が芽生えているそうなのだ。
そう思う気持ち、松剣も本当によく理解できる。しかし、この葬儀屋の方はこう続ける。
過去ではなく、今を生きる我々は、目まぐるしく変化する日常の世界にあって、それに対応しながら無意識に新たな環境や状況に馴染もうとする本能が備わっている。そのような毎日を過ごす中で、亡き者を偲ぶ時間は自ずと減っていくものであり、その事は罪ではない、と。
大切な存在を喪った直後、その心の大部分は喪失感に支配される。その範囲が大きければ大きいほど、悲しみは深くなるもので、しばらくの間は何をしていても、その悲しみから解放されることはない。
しかし、それでも遺された者達は、そんな悲しみを背負いながら現実の世界を、もがきながらも過ごしているうちに、いつしか、いくつかの悲しみは想い出となり、違う感情となって自分の心に宿っていくもので、悲しみから癒えていくということは、悲しみが無くなるのではなく、悲しみが別の何かに変化しているだけのことであり、先立った者への想いが薄れていることではないのだと言う。
では、違う感情とは何か?この方は葬儀屋として、悲しみの底にあった人達のその後を見届けていく中で一番感じるのは「悲しみが深かった飼い主さんほど優しくなる」事であると感じるそうだ。
記憶が薄れると感じるのは錯覚であり、大切な存在を完全に忘れる事はなく、ただ悲しいというだけの感情が時を経て、先立った者が残してくれた数々の想い出が、優しさや愛情に姿を変えただけなのであると。
そして、そのようにして宿った優しさや愛情は、過去ではなく、自分と同じように現実の世界を生きる大切な存在に注げば良いのであり、それこそが先立った者が残してくれた訓えであり、それを感じながら生きることこそ供養にもなると言う事なのだ。
「それって良いことなんですかね?」そう聞かれたら、この葬儀屋さんは迷わず
「良いことです」とお答えするそうだ。
あんずの甘えん坊は相変わらずだけど、食欲はすっかり戻って来た。いつまでもクヨクヨしているのは松剣だったりして・・・
買い物をしていても、これなら食べてくれそうだなとふと思ったり、試食のソーセージやハムを口の中に入れて、車で待っているまりもへのお土産にしようとしたり・・・
寝返りを打つ時は蹴飛ばさないようゆっくり身体を動かしてしまうし、テレビを見ていても無意識にまりもを探している。外出していてもご飯を作ってやらないと、と早く帰ろうと思ったり、食事中もまりもが好きだったおかずを無意識に一口だけ残していたりもする。
そしてその都度現実を思い出し、落胆する事を繰り返している。
あんなに頑張っていた剣道の稽古に行く気にもなれないし、何を食べても美味しいと思えない。こんなんじゃダメだ。あんずの為にもしっかりしないと!せめて食べる事だけでも楽しもう。まりもが美味しそうに食べていた表情を見れば美味しく食べられるかな。
アハハ、何だか寄り目の写真が多いね!まりもと一緒なら何でも美味しかったな〜。
いつでも楽しかったよ。日に日に寂しさは増して来るけど、これからも、ずっとずっと一緒。
何をしていてもきっと側に居てくれる。見えないけれど、きっと居るね。
ネットでペットロスのページを見ていて、こんな記事を見つけた。
ペットの葬儀屋さんが『薄れいく悲しみの中で感じる罪悪感』と題しブログで公開していた。
納骨堂に参拝に来られた人を見かけたとき、必ず挨拶をして「その後、どのようにされているんですか?」と声を掛けるそうだ。
愛するペットとの別れに打ちひしがれていた飼い主さんも時の経過の中で、少しは元気を取り戻されていて「少しは元気になりました」と笑顔でこたえてくれるらしい。
そんな言葉や笑顔を見届けたとき「そうですか、それは何よりです」と、同じく笑顔で言葉を返すそうなのだが、稀にそんな言葉に思わず表情を曇らす人がいると言う。ペットの遺骨を悲しげに見ながら「それって良いことなんですかね?」と独り言のように問いかけるそうだ。
そのような人は「悲しみから癒えていく=亡くなったペットへの想いが薄れていく」事だと思っていて、あれほど愛したペットへの想いが、日々の生活の中で薄れていってしまっていることへの罪悪感が芽生えているそうなのだ。
そう思う気持ち、松剣も本当によく理解できる。しかし、この葬儀屋の方はこう続ける。
過去ではなく、今を生きる我々は、目まぐるしく変化する日常の世界にあって、それに対応しながら無意識に新たな環境や状況に馴染もうとする本能が備わっている。そのような毎日を過ごす中で、亡き者を偲ぶ時間は自ずと減っていくものであり、その事は罪ではない、と。
大切な存在を喪った直後、その心の大部分は喪失感に支配される。その範囲が大きければ大きいほど、悲しみは深くなるもので、しばらくの間は何をしていても、その悲しみから解放されることはない。
しかし、それでも遺された者達は、そんな悲しみを背負いながら現実の世界を、もがきながらも過ごしているうちに、いつしか、いくつかの悲しみは想い出となり、違う感情となって自分の心に宿っていくもので、悲しみから癒えていくということは、悲しみが無くなるのではなく、悲しみが別の何かに変化しているだけのことであり、先立った者への想いが薄れていることではないのだと言う。
では、違う感情とは何か?この方は葬儀屋として、悲しみの底にあった人達のその後を見届けていく中で一番感じるのは「悲しみが深かった飼い主さんほど優しくなる」事であると感じるそうだ。
記憶が薄れると感じるのは錯覚であり、大切な存在を完全に忘れる事はなく、ただ悲しいというだけの感情が時を経て、先立った者が残してくれた数々の想い出が、優しさや愛情に姿を変えただけなのであると。
そして、そのようにして宿った優しさや愛情は、過去ではなく、自分と同じように現実の世界を生きる大切な存在に注げば良いのであり、それこそが先立った者が残してくれた訓えであり、それを感じながら生きることこそ供養にもなると言う事なのだ。
「それって良いことなんですかね?」そう聞かれたら、この葬儀屋さんは迷わず
「良いことです」とお答えするそうだ。
あんずの甘えん坊は相変わらずだけど、食欲はすっかり戻って来た。いつまでもクヨクヨしているのは松剣だったりして・・・
2014年7月7日月曜日
七夕に逢えたなら
今日は七夕。織姫と彦星が年に一度だけ逢える日。幼稚園の頃、初めて七夕の話を聞いた時は何て可哀想なふたり・・・そう思ったのだが今はそうは思わない。毎年一度でも逢えるならこんな嬉しい事は無いだろうと思うのだ。
もしも毎年七夕の日にまりもやジュニア、ペー君や大二郎達に逢えるとしたら、それぞれの好物を沢山準備して、何日も前からワクワクするんだろうな。そして久々に逢ったなら、みんなを順番に抱きしめ頬ずりをして、元気だった?皆で仲良くしていた?そんな話を沢山して、全員が好きだったピクニックに行きたいな。叶わぬ願いだけど・・・
七夕の2日前はペー君の命日。あれから12年、13回忌だった。ペー君は松剣の夢によく登場する。夢に出てくるペー君は決まって晩年の、笑顔な事が多い。こんな感じで。亡くなる2ヶ月前。耳は既に聞こえていないし、目もあまりよく見えていなかった。
ペー君は迷い子だったので、どこで生まれて、うちに来るまでどんな生活をしていたのかさっぱりわからなかった。そのせいか、何となく迷い子を保護している感覚が結構長い期間続き、今考えるとその期間はお互いに家族に成りきれなかった様な気がするのだ。
ペー君との初めての旅行。牛窓のヨットハーバーで。
牛窓のペンション。お部屋でマッタリ。
性格はとても人懐っこく、知らない人にでも食べ物をもらえばついて行く程の食いしん坊だったが、いつも無愛想で外出から帰っても綺麗な巻尻尾を2〜3回プリプリと振ってお終い。反対にジュニアは松剣と相方が居ないとダメで、外出から帰るとキャンキャン鳴きながら走り回って全身で喜びを表していたので、やはりジュニアの方が可愛かったのだ。知らない人が見るとちょっと怖い。
最初は寝る部屋も別々で、家の中でもリードでつないでいた。寂しかっただろうに・・・あの頃の事を思い出すとペー君に申し訳なく思うのだ。
しかし、徐々にリードでつながなくなり、同じ部屋で寝る様になり、同じ布団で眠る様になり、遂には自分から布団に入って来るまでになった。チュチュが苦手で口移しで食べる事も最初は頑なに拒んだが、次第に口移しで食べられる様にもなった。
こうして少しずつ家族に成っていったのだが、やはり前庭疾患と言う脳の病気を患った頃から本当の家族になれた様な気がしている。いつもちょっぴり内股だったペー君。
弁当美味そっ!!
食べ物を前にするとヨダレが凄かったペー君。
晩年はとても表情が明るく、写真はいつも満面の笑顔だったな・・・最後の子供の日。上に乗っている金太郎もバリバリ食べたっけ・・・
もっと早く本当の家族になれていれば・・・ペー君を介護した日々はとても貴重な時間だった。ちょっぴり不器用で甘え下手だったペー君。逢いたいよ、もう一度抱きしめたいよ、ペー君・・・今頃どうしているんだろうね?
もしも毎年七夕の日にまりもやジュニア、ペー君や大二郎達に逢えるとしたら、それぞれの好物を沢山準備して、何日も前からワクワクするんだろうな。そして久々に逢ったなら、みんなを順番に抱きしめ頬ずりをして、元気だった?皆で仲良くしていた?そんな話を沢山して、全員が好きだったピクニックに行きたいな。叶わぬ願いだけど・・・
七夕の2日前はペー君の命日。あれから12年、13回忌だった。ペー君は松剣の夢によく登場する。夢に出てくるペー君は決まって晩年の、笑顔な事が多い。こんな感じで。亡くなる2ヶ月前。耳は既に聞こえていないし、目もあまりよく見えていなかった。
ペー君は迷い子だったので、どこで生まれて、うちに来るまでどんな生活をしていたのかさっぱりわからなかった。そのせいか、何となく迷い子を保護している感覚が結構長い期間続き、今考えるとその期間はお互いに家族に成りきれなかった様な気がするのだ。
ペー君との初めての旅行。牛窓のヨットハーバーで。
牛窓のペンション。お部屋でマッタリ。
性格はとても人懐っこく、知らない人にでも食べ物をもらえばついて行く程の食いしん坊だったが、いつも無愛想で外出から帰っても綺麗な巻尻尾を2〜3回プリプリと振ってお終い。反対にジュニアは松剣と相方が居ないとダメで、外出から帰るとキャンキャン鳴きながら走り回って全身で喜びを表していたので、やはりジュニアの方が可愛かったのだ。知らない人が見るとちょっと怖い。
最初は寝る部屋も別々で、家の中でもリードでつないでいた。寂しかっただろうに・・・あの頃の事を思い出すとペー君に申し訳なく思うのだ。
しかし、徐々にリードでつながなくなり、同じ部屋で寝る様になり、同じ布団で眠る様になり、遂には自分から布団に入って来るまでになった。チュチュが苦手で口移しで食べる事も最初は頑なに拒んだが、次第に口移しで食べられる様にもなった。
こうして少しずつ家族に成っていったのだが、やはり前庭疾患と言う脳の病気を患った頃から本当の家族になれた様な気がしている。いつもちょっぴり内股だったペー君。
弁当美味そっ!!
食べ物を前にするとヨダレが凄かったペー君。
晩年はとても表情が明るく、写真はいつも満面の笑顔だったな・・・最後の子供の日。上に乗っている金太郎もバリバリ食べたっけ・・・
もっと早く本当の家族になれていれば・・・ペー君を介護した日々はとても貴重な時間だった。ちょっぴり不器用で甘え下手だったペー君。逢いたいよ、もう一度抱きしめたいよ、ペー君・・・今頃どうしているんだろうね?
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